神話ではない現実政治としての『合衆国憲法修正第13条』のその後

今も昔も戦後復興が苦手なアメリカ。



神話ではない現実政治としての『合衆国憲法修正第13条』 - maukitiの日記
ということで前回日記続き。『奴隷解放宣言』その後。
――しかし奴隷解放が為されたからといってアメリカにおいてそうした人種差別が無くなったりしたわけではなかったのです。もちろん法律的には彼らはほぼ完全に平等になった。しかしだからといって人びとの感情まで変える事は当然できなかった。公的な「奴隷」という地位が消えた事で、潜在的な差別はより暗部に潜み温存されることになってしまうのです。まぁ想定できる事態ではありますよね。
つまり、『奴隷解放宣言』は黒人奴隷を解放したものの、しかし、彼らに自立する手段までは与えてくれなかった。多分にアメリカらしいお話ではありますが。


法的な『奴隷』という名分が消えただけで、しかし彼らは社会的・経済的な弱者である事は何も変わらなかった。特に敗北した南部の経済は戦争後になると見事に崩壊し、当然いつの時代も経済危機は貧者を直撃し、元々貧しい立場にあった元奴隷の黒人たちと裕福な白人たちの経済的格差は益々ひどくなっていきました。こうした状況の中で「黒人と白人の平等」なんていうのは絵に描いた餅に過ぎなかったのです。
そして1870年以降――内戦から立ち直り再び一つの国家として立ち上がる為に――南部諸州の名誉回復が図られ、そちらの「(北部)白人と(南部)白人の平等」が進むようになると、もう一つの「黒人と白人の平等」の方は入れ替わりにまぁ見事に後退することになります。南部の政治的発言力が回復すると、戦前同様北部はそれに再び妥協する事になり『奴隷解放』は一層骨抜きにされるようになっていく。特に1876年大統領選での政治取引として進められた「進駐していた北部軍の撤退」が進み、監視の目がなくなると、南部州では(それこそ戦前と同じように)黒人に対する抑圧的な制度が次々と復活するようになっていくのです。
法的には平等になった、しかし黒人たちが白人によって経済的に依存しているという構図は何も変わっていない。そしてもう一つ、ある意味で彼らは民主的な手続きを重視するからこそ、結局彼らは南部にある人種差別的な制度を根底から排除する事ができなかった。
その二つの構図は、現代に生きる多くの皆さんがご存知のように、こうして今に至るまで尾を引いているのです。アメリカの人種差別と、そして小さな政府=地方主義


かくして『宣言』は成されたが、こうして『実態』は温存された。
それでも、劇的な宣言とその痛み(60万以上の死者)を伴う内戦終結は、アメリカという国家統合にとって必要不可欠な『神話』の一つとして昇華することになります。結果としてみれば、奴隷制そのものへの影響としてというよりもむしろ、元々バラバラだったアメリカ諸州を「連邦政府の正統性」という点で(不完全ながらも)強化することに繋がったからです。まぁ多分にそれは戦争に勝った北による支配という身も蓋もない形ではありましたが、しかしそうすることでようやく名実ともに、アメリカは列強の一員として生まれ変わることが可能となったのです。
まぁその意味では多分に看板倒れの宣言でありましたが、しかし現代にまで至る強力なアメリカを生み出したという点で、やはりリンカーンさんは国家の英雄たる資格はあったりするのでしょう。



よだん「奴隷解放と銃規制」

ちなみに、こちらも現代に至るまで尚結論の出ない「銃規制」議論も、こうした温存され続けた黒人差別の問題とかなり切っても切れない縁があったりするんですよね。
つまり争点の一つでもある「武装するのは個人の権利」たる人権説と、そして「武装する権利を持つのは州の民兵である」という州権説、特に後者の州権説が言われるようになったのは、奴隷解放から黒人にまで「市民の権利」が解放されることをおそれた人たちによって推進された、という面があったりすると言われています。元々奴隷としての黒人の反乱を恐れてもいた白人たちは、その反動か上記南北戦争以後になって、人種差別による白人側からの暴力は爆発的に増加します。KKKなどの白人テロリストの登場。そんな中で「黒人が銃で武装する権利」を抑制しようという動きも当然ありました。
故にあの悪名高きNRA=全米ライフル協会こそ――「彼らは白人至上主義だ!」という陰謀論的な一部言説とは裏腹に――こうした人種差別的なイデオロギーとはほとんど常に一線を画しているのです。彼らはまさに「どんな市民にも同様の武装する権利」という平等主義を掲げるからこそ、転じて人種差別を否定することになる。潔いというかなんというか、愉快なお話。まぁそれは多分にそうすることで伝統的に民主党支持の多い黒人たちの支持を得るという、とても現実的な判断があったりするわけですけど。


あの悲惨な内戦を経験し、そして今尚人種間の暴力に悩む彼らだからこそ、「どんな市民にもある武装する権利」という価値観はやはり重いのだろうなぁと。
いやぁメンドくさい国ですよね、まったく。