市場原理の結果としての『賃金格差』

市場ってこわい。


時事ドットコム:企業トップの高額報酬に「ノー」=憲法改正で株主権限を強化−スイス
上場企業幹部の高額報酬にノー スイス、国民投票で株主権限強化 - MSN産経ニュース
まぁそりゃ国民投票なんてしちゃったらこうなるのも理解はできなくありませんよね。素晴らしく硬性憲法な私たち日本ですら、この「経営陣の高額報酬抑制」をテーマにしたら案外通ってしまいそうですし。ポピュリズム的だろうと言ってしまうと頷くしかありませんけど。

 スイスの制度では大企業のトップらの報酬について、株主がほとんど関与できない。リーマン・ショックや欧州債務危機を通じ、企業の業績が落ち込んだ際の高額報酬の支払いに株主の不満が噴出し、国民投票が行われることになった。

 最近でも、製薬大手ノバルティスのバセラ会長が退任するにあたり、6年間で最大7200万スイスフラン(約71億円)を受け取ることで会社側と合意したことが問題視された。退任後の競合他社への移籍阻止が目的だったが、バセラ会長は批判を受け、受け取りを辞退することになった。

上場企業幹部の高額報酬にノー スイス、国民投票で株主権限強化 - MSN産経ニュース

「企業の業績が落ち込んだ際の高額報酬の支払いに株主の不満が噴出する」のはまぁいいんですよ。一連のサブプライムなんとかの破綻の時にもそうした事例はかなり問題になりましたよね。失敗した時には報酬を下げるべきだ、というのは理解できるお話であります。
――ただその為に株主の権限を強めようとすると、じゃあ逆に「成功した場合の報酬」をより上げてしまうインセンティブになりはしないのかなぁとも思うんですよね。一般に企業業績=株価にこそ、株主たちの利害は直結するわけで。そう考えるとむしろ、より高額報酬を提示することでより有能な経営陣をスカウトしようとする誘因、が働いてしまうんじゃないのかと。


ちなみに、こうした有能(あるいは無能)なCEOなどによって企業の業績に影響を受ける度合いは「約10%」程度だと言われているそうです*1。つまり「当たり」の人材を引ければ他社よりも10%優位に立てる。たかが10%と見るか、されど10%と見るべきか?
実際、世界最大の民間石油企業であるエクソンモービルを例に挙げると、2005年に退任したリー・R・レイモンドさんという方はその際に現金・株・ストックオプション・長期報酬合わせて6億ドル超受け取ったそうで*2。500億円以上てどんだけ。
ところが一方で、彼は会長として君臨していた10年間に同業他社よりも「18%大きな」株主利益をもたらしたそうです。その金額は160億ドル以上。つまり彼はライバルよりも18%=160億ドル多く稼ぎ、そしてその報酬としてその利益の内のたった4%=6億ドル受け取ったことになる。その収支を結果として見れば、決して暴利とは言えない合理的な数字ですらありますよね。株主にとってこれほど魅力的な人材はそうそういないでしょう。


まぁ結局のところ、そういうお話になってしまうんですよね。上記では『移籍阻止』という点も挙げられて批判されていますけども、概ねそれもその一端であるわけです。つまり、現状で世界中で起きている経営陣たちの「報酬高騰」は正しく需給バランス結果でしかない。企業たちによるより有能な人材の奪い合いこそが、それを招いていると。
別に彼らは政治的陰謀やあるいはCEO労働組合のようなものによって、そのバカげたウン億ドルという単位の報酬を受け取っているわけではなく、ただただ素朴に企業の業績を上げる為に有能な経営者を求めようとする競争の結果に過ぎないのです。大抵の場合、10%のより多いリターンを求めることになる、利害が短期的に直結する「株主たち」の手によってこそ。結局そんな雇われ経営陣よりも更に美味しい思いをしていて、より強く望んでいるのがそんな株主たち――引いてはあの恐るべきヘッジファンドの皆様であると。
そりゃ欧州連合でもまさに「諸悪の根源」として規制にまで至ってしまうのも無理はないよなぁと。


かくして、みんな大好き「市場原理=競争の結果」経営者たちの給料は高騰していく一方で、みんな大好き「市場原理=競争の結果」ふつうの労働者たちの給料は下がり続ける。
経営者の給料は出来るだけ吊り上げ、そして労働者の給料は出来るだけ下げ続ける。まぁ確かに誰かの悪意を疑いたくなる構図ではありますけども、別に一部富裕層による世界支配を狙ったりするとかいう陰謀があってご覧の有様になっているわけではないのです。いや、むしろそちらの方がまだマシだった。
現在起きているのは、ただ経済的に最も合理的な方法を追求したら、身も蓋もなくそこに行き着いてしまっているに過ぎない。
『賃金格差』という最適解。そこには善意も、悪意すらもなく、ただただ効率化と合理性だけがある。
いやぁ心底救えないお話です。




もちろん幾ら「経済学的に正しい」といっても、こうした構図が無条件に肯定されるわけではありません。この素晴らしく資本主義に則った――且つ破滅的な賃金格差は長期的には確実に、民主主義政治・市民社会を蝕んでいくことになるでしょう。
右手に民主主義を、左手に資本主義を掲げて - maukitiの日記
資本主義のために民主主義を犠牲にするのか?
民主主義のために資本主義を犠牲にするのか? 
おそらく解答はその中間にあるのでしょう。そこまではいいんです。では、その適切なバランスとは、一体、どこに?
その適切な妥協点について。まぁそれぞれ個人個人にとっては既に解答はあったりするのでしょう。しかしだからといってそれが大多数――少なくとも過半数の人が受け入れられる解答なのかというと、そうではない。つまり民主主義政治的には受け入れられない。どうやって妥協すればいいのか、さっぱり解らない。悲観的な僕としては、一度心底痛い目に会わなければ学ばないのではないかなぁと少し思ったりもしますけども。でもまぁ頭の良い誰かがどうにかしてくれることを祈っています。


ということで、がんばれ人類。

*1:ジョセフ・S・ナイ『リーダー・パワー』P17~

*2:ロバート・B・ライシュ『暴走する資本主義』P151~