ザ・傲慢な権力者たち

わざとやってるのかと心配になるほどです。


朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」 - ニュース
まぁなんというか、ここまで言い切られるといっそスガスガしいお話ですよね。ほとんど徹頭徹尾「自分たちの論理『報道の使命』は正しいが、政府・日揮・遺族たちの論理は間違っている」と確信している人びと。なんだかとっても生暖かい気持ちに。

 藤田委員 この問題の大きな前提は、ジャーナリズムの役割は何かという点だ。ニュース報道は公共の関心に応えるためのものだ。情報を広く社会に伝えることは、民主主義を支える条件の一つだ。ニュースの報道は正確な事実に基づかなければならないし、その事実の中には当然、「誰が」という情報が含まれる。

 もう一つのジャーナリズムの役割は、歴史に記録を残す仕事だ。可能な限り、具体的な事実を記録する必要がある。そういう立場に立てば、ニュース報道は実名が原則だ。人権やプライバシーに配慮する必要から匿名にする場合もあるが、それはあくまで例外だ。そう考えると、犠牲者の氏名をなぜ公表する必要があるのか、おのずと答えが出る。

朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」 - ニュース

「おのずと答えが出る」
お、おう……。
『説明責任』という機能をまるで理解していない『説明責任』の要求者たち - maukitiの日記
アルジェリア人質事件被害者実名報道の「正しさ」について - maukitiの日記
この辺りの彼らの『説明責任』についてのお話は以前書いたのでそちらで。
当時の日記でも書いていたように、大事なのは「その説明を聞いた人たちが一体どう思うか」という点であることを、やっぱりこの人たちはまったく理解していないのだなぁと。自らの使命には「一般の人々」の感情など瑣末の問題に過ぎないと確信している。


こうした彼らの説明を聞いて、「利己的だ」と思う人の割合と、「利己的な理由ではない」と思う人の割合。
はてさてそれは一体どの程度のモノになるのでしょうね?