現代正戦論における重要な論点の一つ「リスク無き戦争行為」

撃たれる覚悟も無いのに、一方的に撃ててしまう時代。


現代正戦論における重要な論点の一つ「介入の終わらせ方」 - maukitiの日記
ということで昨日の日記で少し触れたし折角なので。今日の日記に合わせて昨日のも微妙に改題。現代の正戦論を考える上で、避けては通れないもう一つの重要な論点について。無人兵器の登場と一般化の先にある世界。


いわゆる国際人道法・武力紛争法の根幹にあるのは『軍事目標主義』であります。
『軍』と『民』を分離した上で、前者への攻撃は許容され、しかし後者への攻撃は許されない。自分が攻撃されるという前提に置くからこそ、同じ覚悟を持った相手を攻撃することが許される。
ここ数年来――オバマさんが積極的に活用するようになった無人兵器の登場って、こうした伝統的な「戦争の風景」に全く新しい階層を生み出しているんですよね。つまり事実上は武器を持った軍ではあるんだけど、しかしその実態としてはまったく「攻撃されるリスクのない新種の軍隊」という新たな存在を。
相手を無人兵器で攻撃することは、相手の無人兵器を攻撃することは、果たして戦争行為なのか?
人間の歴史そのものと言っていい『戦争』という概念について。私たちは精神的により進んだ進歩の証として、重要な価値を持つ「生命」と「生命」で均衡させることで抑止しようとしてきました。ところが、その精神面における進歩の歩みは、無人兵器の登場によって完全に袋小路に陥りつつあるのです。
この分野の研究で有名なP・W・シンガー先生はこうした状況について『ロボット兵士の戦争』の中で、有史以来続いてきた人間の戦争そのものが変わろうとしている、と述べています。


ともあれ、この反撃されない安全な場所からの一方的な攻撃というお話自体はそこまで新しいわけではなく、例えば精密誘導が可能となった巡航ミサイルの誕生の時代から言われ続けてきたお話でありました。その「リスク無き戦争行為」について、私たちは一体どのように抑制すればいいのか。その答えが見えないまましかし技術は日進月歩で進化を続け、「距離」という壁を越え、そろそろ「他律」の壁さえ越えつつある。
リスクのあるときは簡単だったんですよ。その生命の重要さを強調すれば、必然的に結果は見えていた。
ところが無人兵器の一般化は、かつてのような無制限戦争観に近い、より気軽な武力衝突の状況を再び生み出しつつある。ただ攻撃する側だけでなく、同時に反撃する側さえも、相手は無人機だからと容易に撃ててしまう。
かくして攻撃の為の心理的ハードルは下がり続ける。


人間同士の戦争は非合法だけど、ならば無人兵器対人間の、そして無人兵器同士の戦争は合法か?



こうした新たな無人兵器って現状の国際人道法が想定しきれない事態にあるんですよね。構図としては核兵器に関する取り決めがまったくなかった時代のそれに等しい。やったもん勝ちといってしまってはそれまでではありますけど。
国連、「米無人機攻撃はパキスタンの主権を侵害」 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
米無人機攻撃による死者は4700人、米上院議員 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
CNN.co.jp : 「政府にはテロ組織の国民を殺す権限」、内部文書が物議 米
知ってるようで知らない無人機攻撃の怖さ | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
現状のパキスタンさんちなどでのアメリカの振る舞いを見ると、結局そういうことなのだろうなぁと。今後はアメリカだけでなく、中欧露、そして私たち日本もそれに追随していくことになるでしょう。
長期的な戦争観への影響はともかくとして、だって少なくとも短中期的には大事な大事な『生命』を浪費せずに済むんだから。とても人道的な無人兵器。まさか「無人兵器は非人道的なので、兵士が死ぬべきだ」なんてとても言えない。いやまぁ、言う人も結構居そうですけど。


どこかで解りやすい悲劇や、あるいは痛い目に会わない限り、この無人兵器が生み出す新たな無法地帯は、ほぼ確実に、しばらくは続いていくのだろうなぁと思います。
みなさんはいかがお考えでしょうか?