民主主義を『手段』とする人たち

日記お休みにしようかと思いましたけど、少しだけ。読売本紙の「チュニジアのベール急増から見る女性の権利後退」という記事を受けて。


http://sankei.jp.msn.com/world/news/130407/mds13040722390002-n1.htm
http://japanese.ruvr.ru/2013_03_23/108727849/
ガザ地区で共学禁止、ハマスが新法を施行 写真12枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで、チュニジアにしろエジプトにしろ、そして(おそらく)シリアにしろ、まぁどこでも彼らは大変そうだなぁと。民主的手続きを経たから「こそ」イスラムの教えに則った国づくりを進めようとしている人びと。
民主主義は目的ではなく、イスラム国家設立の為の手段である。
その意味では、所謂「世俗派」と「イスラム組織」の皆さんが、『アラブの春』を経た選挙の後に決定的に分裂してしまうのも無理はないよなぁと。前者にとってそれは独裁者排除こそがゴールであったのに対して、しかし後者の人々はそこから更に一歩進んだスタートラインであったわけだから。
民主主義を「踏み台」にして、イスラムが支配する正しき社会へ。


この辺は、アマルティア・セン先生が仰っていた『科学主義』が欧米的価値観と見なされるようになっているのと同じ構図――実際にはそうではないのにもかかわらず――『世俗主義』が欧米的価値観であるという風に結びついてしまっていることが、現状の一助ともなっているのだろうなぁと。「女性の権利」擁護など、それは「普遍的」でも「中立的」とされるようなモノではなく、他者が勝手に押し付けているモノに過ぎないのだと。
ただ単純に自らの「価値観と違う思想」というだけでなく、「憎むべき欧米的思想」という属性まで獲得してしまっている。自らをそれとは違う「他者」と置き、独自性を見出そうとしている構図。故に否定されるべきなのだ。まぁ原理主義運動の基本的な考えではあります。


こうしためんどくさい感情的な状況が、彼らの『春』の後に影を落としているのかなぁと。