近代科学革命の孵化器となった『文芸共和国』

キュゥべえこわい。


戦争に明け暮れた欧州が生み出した技術革新 需要がなかった平和なアジア~ヨーロッパなるもの(上)(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス)
なるほどなぁと。まぁ結構昔から言われているお話ではありますよね。ヨーロッパは戦争に明け暮れることで、進歩を手にすることが出来たのだと。もちろんそれが全て正しかったと言うつもりもありませんが、しかしやはり「戦わなければ生き残れない」という状況はあったのでしょう。故に彼らヨーロッパにおける中央集権化と常備軍は延々と強化され続けていったわけだし。


さて置き、個人的に気になったのはこの部分。何故ヨーロッパは『科学革命』に至ったのか?

 その発展を加速した「科学革命」は1600年代に生じたという。これは人々が、「宗教や迷信を振り切って、自然界の現象をあるがままに見るようになる、そしてそこから、人間生活に有用な多くの発見・発明が生まれる」という世界の到来を指す、と説明されている。

 ここでは、このように人々の内面に生じた変化をその理由として引っ張ってこないと、なぜ革命などと大げさに呼ばれる事態が1600年代に生じたのか、という点がうまく説明できない。それがいかにもヨーロッパ人が優れていたかのような印象を与えたとしても。

 少し踏みこんで言えば、宗教革命から100年以上を経て、がんじがらめの聖書の解釈から解き放たれた人々が、自然界の現象をあるがままに見るだけではなく、そこにあると信じられた神の摂理をも覗き込もうとし始めた。

 それは、人間は神に近いから自然を支配して当然、という動機からでもあったろうし、逆に、絶対神の前では人間は卑小な存在でしかない、という認識が神への憧れとそれへの探求心を掻き立てたからでもあるだろう。

 ケプラー天文学での問題解明を成し遂げた時に、「宇宙創造に神が用いた設計図を入手した」と叫んで感激したという。微積分学の根本となる極限値の概念(無限の彼方だが存在はする)もまた然りで、最初の動機が何であれ、神の摂理を追いかけていった末に生み出された思考なのだ。

戦争に明け暮れた欧州が生み出した技術革新 需要がなかった平和なアジア~ヨーロッパなるもの(上)(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス)

もう一つ重要なのが「新世界の発見」であります。南北アメリカ大陸など、まったく未知の動植物――そしてそこに住む人びとの存在を知ることで「驚き」そして既存の人類社会そのものについての哲学的な意味について、新たな地平が切り開かれるようになっていくわけです。
世界と政治について、常識の決定的な変化。パラダイムシフト。
それはやがて「啓蒙主義」を生み、マキャベリズムを経て「国家理性」という価値観にまで繋がっていきます。まさに近代政治哲学の誕生であります。
――そしてそんなパラダイムシフトは当然『自然』についての研究にも波及していくのです。


ちなみに、こうした彼らの知的探求を支えたのが『文芸共和国』という当時のヨーロッパ知識層にあった共通の価値観でした。つまり、我々は同じラテン語*1を話し同じルーツであるギリシャ・ローマの古典を研究をする同志なのだ、と。
宗教(国家)戦争がほぼ日常にあったこの時代にあって国境や宗派を越えた連帯、この彼らの仲間意識が――政治哲学にしろ科学にしろ――国際的な広がりを持つ活発な議論を可能とし、当時の科学者たちや政治哲学者たちという無数の天才たちの交流を支えた『文芸共和国』こそが、この時代の学問研究の飛躍を支えたインキュベーターとなったのです。


まさに歴史的に見ても異様に戦争に明け暮れていたヨーロッパのあの時代にありながら、いやむしろ戦争下「だからこそ」学問に没頭する彼らの連帯はより強くなり、そしてそんな連帯こそが科学から政治哲学まであれだけ多くの新たな知識たちを生み出すことになる。
まぁ確かにこれも「戦争が生み出した進歩」と言うことはできるかもしれませんよね。

*1:『ナントの勅令』以後にはフランスのパリがその中心となった為に、フランス語が彼らの共通言語となります。