かつてヨーロッパの文化的統合にトドメを刺した『フランス革命』

いつだって「グローバルな統一の押し付け」こそが、ローカルな自意識を目覚めさせる事になる。


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ということで『啓蒙思想』から影響を受けたフランス革命は――その『革命』の名が示す通り――「自由・平等・博愛」を全ヨーロッパへ輸出しようと自己拡大を始めます。
ところがその素晴らしきスローガンとは裏腹に、その革命戦争は(フランスの無邪気な確信とは裏腹に)ヨーロッパのほとんど何処でも強硬な反発を生み出し、皮肉な事にまさに「自由・平等・博愛」の精神の押し付けによって現地の『民族感情』を生み出すことになるのです。
フランス人たちが啓蒙できると信じていた各国国民こそが「我々の君主・伝統・信仰を否定する事は許せない」と目覚めてしまう。
かくしてそんな『啓蒙思想』の押し付けによって、抵抗として『ロマン主義』が盛り上がっていくことになります。『文芸共和国』の時代にあった「一つのヨーロッパ文化」という共通意識ではなく、民族・言語・領土の神話へのローカルな情熱として。古典主義からロマン主義へ。それまでの古代ローマ古代ギリシャではなく、中世こそに我々独自のルーツがあるのだと。
現代まで続くヨーロッパ分断の始まり。
フランス革命とそしてナポレオンの全ヨーロッパ統一の企図によって、フランスの民族主義に影響を受ける形で、他のそれが目覚める事になる。それまで(各国エリート層にあった)のヨーロッパの緩やかな文化的統合にトドメを刺される事になった。
この辺り「統一しようとする流れこそが、地方の反発を招く」というある種普遍の論理を証明しているようで、色々と現代と愉快な相似を示しているよなぁと。



ちなみにこの『フランス革命』を端に発する、各国国民の「民族感情の目覚め」こそが、あのヨーロッパの永続的な戦争状況を一時的に終わらせる事になります。つまり、戦争に勝つ為に政治や経済の近代化を進めることはフランスやイギリス(名誉革命)のように必ず『革命』に至ってしまう事を、各国の君主たちに気付かせる事になるのです。
――よってそれを防ぐ為には近代化を止め、更にその為に近代化を止めても済むように「戦争そのものを止めよう」ではないか、と。
こうしてあの歴史上例外的な19世紀の「ヨーロッパの均衡」が実現するようになるのです。外国の軍隊と戦うのではなくお互いに自国既存秩序の維持に努めよう、という君主たちの君主たちによる君主たちの為の平和。実際それは1848年の『諸国民の春』までどうにか彼らの努力=延命策は実を結びます。
しかし30年程でその『春』は抑えられなくなり再び平和が破られるというのは、まぁなんというか、現代の独裁者たちの後にやってきた『アラブの春』にまで通じる皮肉なお話ですよね。



現代の欧州連合をめぐる問題や、アラブの春をめぐる問題を見た時、やっぱりこうした前例としての欧州の歴史は色々と示唆するものがあるんじゃないかと思ったりします。