「自分探し」の果てにあったもの

民主主義がテロを解決できない理由。



焦点:欧米にひそむ「過激派の芽」、イスラムになびく若者たち| Reuters
ヨーロッパに追いつきつつあるアメリカ。

英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)のテロ対策専門家ラファエロ・パンツッチ氏は、多くの事件の動機解明には、政治や宗教的な側面とともに、心理学と社会学的な分析も必要だと指摘。「通常、動機は国境を越えたものであると同時に、個人的なものでもある」と述べ、犯罪にかかわる理由が複雑に絡み合っていると指摘する。

若い男性たちの中には、社会で活躍できないと感じたりした場合、自分の無力さを感じる者もいる。「確かな法則ではないが、おおまかに言うと、40歳以下のイスラム教徒男性にそうした傾向がある。最近は女性のケースも見られる。普通、彼らを仲間に取り込むための接触のようなものがある」とパンツッチ氏は語る。

焦点:欧米にひそむ「過激派の芽」、イスラムになびく若者たち| Reuters

まぁやっぱりそういうお話になってしまうのかなぁと。単純にイスラムの過激主義というよりは「政治や宗教的な側面とともに、心理学と社会学的な」問題であるのだと。
聖戦主義者はどこにでもいる - maukitiの日記
民主国家に「こそ」生まれるテロリストたち - maukitiの日記
以前の関連日記でも書きましたけども、彼らはかつてのファシストマルクス主義者と同じ所に立っているんですよね。あるいは私たち日本にかつてあった「オウム」のそれと近いところにあるのでしょう。潜在的に既存社会に不満や不安を持つ人たちが、『特定の』イデオロギーを自らのその不満を解消する為の回答として見出している。そして最早暴力でしか解決できないのだ、と吹き込まれてしまう。
個人の不満とイデオロギー上の不満が悪魔合体する。
そのイデオロギーに染まり過ぎた結果孤立し聖戦主義に走る、のではなくて、元々個人の力では(同時に「真っ当な」やり方では)解消できない不満を抱え孤立した人たちがイデオロギーに染まる事でテロに走ってしまう。結局イスラムがどうこうという話ではないのです。
その点で、現代欧米社会で生まれる『聖戦主義』って一般に言われているような「イスラム教だから〜」や「イスラムの現状に不満を持って〜」とは少し違うんですよね。
むしろそこでは因果は逆転しているのです。


個人主義相対主義が支配する(西欧的な)現代先進社会にあって、一体どうしたらこうして孤立する人びとを社会に融和することができるのか? ――それはただ単純に寛容として「許容」すればいい、というだけでは済まない問題なのです。民主的な権利が奪われているからではなく、その民主主義社会から疎外され無視されていると確信している人びと。しかしそんな疎外された異文化な彼らに対して積極的に干渉することは、多文化主義社会において許されることなのか?
かくしてアメリカよりもこうしたテロが頻発していたヨーロッパの社会では、一足先に「多文化主義は死んだ」という地平に辿りつくことになる。


いやぁこうしたテロを防ぐには一体どうしたらいいんでしょうね?