記憶と歴史の狭間で立ちすくむ私たち

一昨日の日記でも下書きまでは書いていたものの、韓国さんネタは色々とアレがナニなので没にしていたお話。タイミングよく面白い記事が流れてきたので再利用。かつての日本支配と、それに対する現在の韓国中国の感情の問題について。


The Silent Treatment Won't Stop Japan | The National Interest
私たち日本自身が言うとアレですけども、しかし第三者であるアジア太平洋地域研究の専門家から言ってくれると、思わず微妙にありがたい気持ちにはなってしまうお話。
「The Silent Treatment Won't Stop Japan(よそよそしく黙殺することでは日本は止まらない)」

It is often said that Japan should act more like Germany, meaning that Japan has not shown contrition to the same level as Germany. Yet the analogy usually stops there. If Japan should act more like Germany, then China and South Korea need to act more like France. After all, it was France that reached out to Germany with the idea of creating a European Coal and Steel Community before West German Chancellor Konrad Adenauer’s 1951 acknowledgement of the “immeasurable suffering” Germany caused.


意訳。
(しばしば、日本はドイツのようには反省しておらず、ドイツのように行動すべきだと言われている。しかしその類推は大抵そこで止まってしまう。もし、日本がドイツのように振る舞うとすれば、中国と韓国はフランスのように振る舞う必要がある。というのも、「ドイツが引き起こした『計り知れない苦痛』」という西ドイツ首相であったアデナウアーの1951年の認識より前に、フランスは『欧州石炭鉄鋼共同体』というアイデアを以ってドイツに手を差し伸べていたのだ。)

The Silent Treatment Won't Stop Japan | The National Interest

「もし日本にドイツを見習えと言うのならば、韓国や中国にはフランスを見習えと言うべきだ」
まぁそういうことでもあるんですよね。もちろんそれは私たち「許される側」である日本自身の努力が必要とされるし、しかし実はそれと同じくらい「許す側」の努力も必要なのだと。和解のプロセスは決して一方通行で成されるモノではないわけだから。まぁもちろんそれを私たち「日本から」口にするのは体裁上やっぱりよろしくないので、こうしてそれを外部から指摘してくれる人が居てくれて良かったよね、と。


実際あのドイツの謝罪というのは、多分にフランス側の歩み寄りが大きかったというのはよく言われている話でもありまして。ドイツ周辺国の彼らはまさに「それでも、それでも俺たちはドイツを許してやったのだ」と自らの国家の誇るべき歴史として得意げに――そして恩着せがましく語っている。この周辺国の感情が現代の欧州連合の問題にまで繋がっていたりするわけで。
――かくしてヨーロッパの戦後の国際関係史としてメインに語られるのは、ドイツの真摯な謝罪というよりは、むしろドイツ周辺国の(実利に基づいた)ドイツへの責任追及の放棄という英断であったりするわけです。まさに彼らは勝者であったからこそ、次の脅威(東側)に対抗するために――当然大きな不満がありながらも――ドイツの謝罪を受け入れた。
それこそ上記リンク先でも言及されているように、欧州連合の前進となった『欧州石炭鉄鋼共同体』は、まさにフランス側が譲歩してまでドイツを巻き込むことによる地域の安全保障の構築することへの希求が、その大きなエンジンの一つとなったわけです。


こうした背景があるドイツ=ヨーロッパと、日本=アジアのそれを単純に比べるのはやっぱり無理があるよなぁと個人的には思わざるをえません。それはやっぱり当事者の問題でも当然あるし、そして同時に環境の問題でもあったのだと。
もしヨーロッパにおけるドイツと同じように、日本にも国力的に近いレベル同盟国が居れば、東側の脅威に備えるべく譲歩して長期的視点から地域同盟を組もうと手を差し伸べてくれる人が居たかもしれないのにね。唯一そうなりそうな相手だった中国は見事に共産主義に転んでしまった。かくしてアジアの孤児として、アメリカに全てをゆだねる以外に選択肢はなかった私たち。歴史のifとして、やっぱり国民党勝利のシナリオは考えると色々面白いですよね。
ともあれ、単純に「フランス役」が居なかったというよりは、むしろフランス役を担えるだけの有力国がそもそも居なかった。あのドイツの戦後を見習う為には単純に努力だけではそもそもどうしようもなかったというオチ。
そりゃ日本でドイツ方式が成功するはずがありませんよね。むしろ真摯に謝罪をしようとすればするほど、ドイツとは「違った道」をいかなければならなかったのに。でも欧米大好きな人々によって――環境が違うというのに――ドイツ流への道ばかり叫ばれ、そして今でもその声は根強い私たち。
同じ結果を目指すのはともかく、環境が違うというのに「同じやり方」で目指そうとしてしまった悲劇。




さて置き、では、現在からでも修正して両国の関係を改善していけるのかというと、やっぱりそれも難しいんですよね。いや、別に韓国があの頃と同じく「弱い」国だなんて言うつもりはなくて。
つまり、もうそうした歩み寄りが期待できる時代は過ぎ去ってしまった。それは現実に被害にあった人々は舞台から完全に消えつつある故に。私たち日本において、かつての戦争の当事者が居なくなりつつあり、若い私たちの世代が当事者意識が薄れているのとまったく同じように、あちらでも状況はまったく同じであるわけです。
そしてこの事は、両国の関係改善を促す状況のポジティブな変化なのかというと、まったくそうではない。むしろこの変化こそが、現在における関係悪化の一つの大きな要因でもあるわけで。


加害者である相手を許すには、よく言われているのとは逆に、むしろ「当事者」であることが重要があるのです。まさに上記フランスのように、被害を受けた実際の当事者だからこそ、私たちは相手を許すことができる。更にいえば、許さざるを得ないのです。
――だってそうしなければ、その傷を背負ったまま残りの一生を生きていかなくてはならなくなってしまうから。傷を癒し、残りの人生を生きていくためにも、どこかでケリをつけなければならない。実際に被害を受け傷を背負った人々だからこそ、そこから立ち直るために相手への非難を自発的に止めるのです。非難をしたままだということは、自らの傷が永遠に癒えることがない、という意味でもある。
過去の苦しみを克服し、傷を癒すということは、結局そういうことであるのです。


ところが最早、そうしたかつての日本支配の被害者であった人々はいなくなりつつある。残っているのは語り継がれた「恨み」だけを持っている人たちだけ。そんな彼らには当然、癒すべき実際の傷なんてない。だから許そうとするインセンティブも働かない。
実際に被害を受けて居ないからこそ、彼らには許すことができないのです。許してしまうと、その唯一残った恨みまでも消えてしまうから。
21世紀に入ってから両国での「反日」な感情が今更ながらに盛り上がったのは、もちろんこれが全てだとは言いませんが、やはりこういう理由もあったりするのだろうなぁと。
BBCの2013年版国別好感度調査 - maukitiの日記
かくして、その二国からの嫌悪感だけが世界の平均の比べて異様に突出することになる。現在の彼らは実際に被害を受けた世代ではないから憎しみが中和されているのではなくて、実際に被害にあった世代ではないからこそ、その恨みだけが際限なく膨張していくのです。


もし今後好転する見込みがあるとすれば、そんな「記憶」が次に「歴史」に至る時でしょう。しかし少なくとも今はまだその段階ではない。『記憶』の時代でも、『歴史』の時代でもない、曖昧な時代に生きている私たち。まだ記憶が鮮明な時代か、あるいは記憶が更に歴史となった時代だったらもう少し話は簡単だったのにね。
しかし現在はそのどちらでもない。記憶でも歴史でもない。



なんて時代だ。