あまりにも無邪気に「民主主義はすばらしい!」と持ち上げ過ぎた果てにあったもの

欧米リベラルの皆さんの善意の果てにある欺瞞。その論理過程ではなく、最終的な解答だけが普及してしまったことの弊害。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38191
まぁ伝統的な議論ではあります。民主主義と自由の相克。
地政学的安定か、民主主義か、世俗的政権か - maukitiの日記
この辺は、ほぼ先日の日記でも書いたお話ではあります。ていうか今考えると記事タイトルを「地政学的安定か、民主主義か、自由か」にすればよかったなぁと反省。イスラム主義を押し進める同胞団の政策によって市民の自由が損なわれている、という意味で書いたつもりだったので、まぁ概ね似たような意味だと言うことでひとつ。

 しかし、エジプトで現在生じている政変は、自由と民主主義が常に同じものであるとは限らないことを示している。両者は時に敵同士にもなり得るのだ。

 ムハンマド・モルシ大統領を引きずり下ろす軍事クーデターを支持したエジプトのリベラル派は、自分たちの行動は正当だと主張した。ムスリム同胞団の政権は確かに選挙で選ばれたが、基本的な自由を脅かしていたと考えた、というのがその理由だった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38191

ともあれ、こちらも先日モルシさんのそれを例にして少し書いたお話ではありますが、個人的にはこうした現状ってやっぱり欧米のリベラルな皆さんが外部から民主主義を煽りすぎた結果だよなぁと思うんですよね。あまりにも民主的手続き=選挙による正統性を絶対視するような言葉を、外野から並べたせいで勘違いさせている。
もちろんそれはあくなき善意からだったのでしょう。しかしその絶対の真理を一気呵成に伝道させようとした結果、その最終的解答がだけが――そもそも何故民主主義でなければいけないのかという過程をすっ飛ばして――相手に伝わっている。(欧米の人たちにとって「生徒」たる)彼らはその途中の計算式などまったく気にせず、最後の解答さえ正しければいいのだろうと勘違いさせている。
――かくしてその生徒たちは、バカであるというよりもむしろ賢しいからこそ、とりあえず民主主義さえあれば口うるさいアイツらは承認してくれる、なんて地平に辿り着いているのです。
まぁその認識が殊更に間違っているというわけではありませんよね。とりあえず民主主義な体裁を保てばいい。とにもかくにも、とりあえず民主主義であればその政権の正統性が認められる。だからこそ世界中のあちらこちらに実態に全く則しない『なんちゃら民主主義共和国』なんて国家がまさに存在しているわけで。
それさえ国名に付けておけばいいだろう感がすごい。


つまり今起きている構図って、欧米のリベラルな人たちが口うるさく押しつけてくる民主主義というモノを「遅れている」人たちがその概念をありのままに受け入れるのではなく、むしろそんな口うるさい押し付けを利用する方向で動いているのです。民主主義を自らの目的達成の為に利用している。それが『自由』と反しない目標であれば問題はなかったでしょう。では、それがまったく自由とは相容れない目的だったら?
「民主主義でさえあれば何をやってもいいのだろう」
「我々の(本来まったく自由とは相容れない)目的達成のために、当面は民主主義を味方につけるのだ」
そしてその真意に気付かないまま「ついに民主化運動だ!」と流れにホイホイ乗ってしまっては、こんなハズじゃなかった、と嘆いている欧米のリベラルの皆さん。まぁ、なんというか、愉快な人たちですよね。
こうした構図を見るとやはり、きちんとした(「なぜそれが必要なのか」という)計算過程からではなく、最終的な解答(民主主義)だけを押しつけているせいでこんな愉快なことになっているんじゃないかと思います。こんなこと小学生レベルの教育手法ですよね。途中の計算式=何故そうなるのか、という点こそが重要だったのに、彼らは最後の解答を押し付けるだけで満足している。
結局の所、これって押しつけられた側の問題というだけでなく、むしろ押しつけている人たちの側の問題でもあるのでしょう。
馬鹿みたいにその「ガワ」だけを見て民主主義が根付いたと賛美しては、後になってこうして自由が失われたと落胆する。





しかし、じゃあ彼らがその自身の経験から、その計算過程をきちんと教えられるのかというとぜんぜんそんなことないんですよね。この点は民主主義を普遍的正義として信奉する欧米のリベラルな人たちのすごく愉快な過去であり、だからこそ今の振る舞いってとっても欺瞞だなぁと思います。
自らの経験を教えたくても教えられないからこそ、最終的な解答だけを教えざるをえなくなっている。
それこそ19世紀の後半から欧州各地で急速に普及していった民主主義って別にその『正しさ』だけがエンジンとなったわけではないからこそ。
まさに彼らは国民国家として国民を一つに纏め国内の社会紛争を抑制する為に民主主義を導入しようとした。更にはそもそも何で国民を一つにまとめる必要があったのかと言うと、身も蓋もなく「戦争に勝つため」であったわけで。だからこそあの時代のヨーロッパではあそこまで急速に、まさに国家の生存が掛かっていたからこそ、民主主義は戦争が常態であったヨーロッパで一気に普及したのです。外敵と内敵の二つがあったからこそ。
彼らは戦争に勝つために、他国よりも強大な国家となるために民主主義を利用した。民主主義進めることこそが唯一絶対の生存戦略だった。
「君たちも僕たちのように、民主主義を富国強兵の為に利用するといい、何せそれこそが最適解なのだからね」
――そりゃそんなことあからさまに言えませんよね。


だから最後の解答だけを押し付けることになる。欧米のリベラルの皆さんの欺瞞のひとつ。
この辺は次回日記でもう少し書きたい。
あの時の彼らの「民主主義と自由の相克」のとても愉快な解決方法 - maukitiの日記
書いた。