古くて新しい中国ナショナリズムの帰還

反日』という21世紀にふさわしい新しいかたち。


経済弱体化で中国はますます危なくなる | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
自らの政権のレジテマシー=正統性の確保に悩む中国さんちについて。経済成長が実現しているうちはそれでもよかった、では、それが出来なくなった時一体彼らはどこにそれを求めるのか?
――というと、まぁやっぱりナショナリズムでそれを誤魔化すだろうね、というありがちなお話。
先日の日記でも書いたように、かつては私たち自身さえも通った道。様々な諸勢力からの最大公約数を求めると辿りつく普遍的解答。排他的愛国主義
ただ、中国さんちに限って言えば、むしろこれまで正統性の代替となっていた方こそが『経済成長』の方だったわけですよね。それ以前の中国さんといえば、まさにそのナショナリズムに従って(正統性の物理的象徴となる)清時代の最大領土を確保するために周辺国全方位で喧嘩を売っていた程だったわけで。朝鮮にロシアにインドに台湾にベトナムにフィリピンに。そうした中で彼らは訒小平さんの指導の下、劇的に経済成長へと舵を切ったわけであります。
翻って現在、ついに経済成長に陰りが見えてきてしまったからこそ、中国は再びかつてのような手法に舞い戻ろうとしている。だから彼らにとってナショナリズムを政権の正統性とする、という論理はむしろ「帰ってきた」とも言えるんですよね。
しかし前回のそれと違って新しいのは、私たち日本を相手にしている。古いやり方のようで、でも相手が日本という視点からは決定的に新しくもある。


そもそも、もしこれがふつうの民主国家であれば、次にやってくる政権の正統性の原資となるのは主に『社会保障』となるはずなんですよ。国家=政権は国民のために整備された社会保障を提供するからこそ存在意義があるのだ、と。
あの時の彼らの「民主主義と自由の相克」のとても愉快な解決方法 - maukitiの日記
先日の日記でも少し書いた「戦争に備えるために生まれた」民主主義国家が、やがて「民主主義国家である故に戦争ができなくなっていく」のはこういう過程があるからなわけです。景気が悪くなることで必然的に高まる国民の声、つまり国家安全保障という題目の下に過剰に軍備に金を使うくらいなら、もっと国民の社会保障の方に使うべきだ、という至極もっともな国民からの要求によって。
ちなみに別の事例としては、産油国などの(独裁的な)資源国家がどうにかこうにか政権の正統性を維持できているのも、こうした厚い社会保障の存在があってこそなわけです。


ところが彼らは「共産党」という名前とは裏腹に、世界でも最も弱肉強食で残酷な資本主義論理の下にあるわけで。その経済格差はほとんど世界最高レベルにあるといっていい。そして、資源国家のような地下資源も中国にとって――もちろんその量自体はそれなりにあるものの――「一人当たり」という視点で見ると実は日本と大して差はないレベルだったりする。
そうした中にあって、中国政府による国民への厚い社会保障なんて到底期待できるわけがない。
かくして彼らはナショナリズムという古いやり方に回帰せざるをえなくなり、そしてそれは近隣諸国で最も(私たち日本人自身の意識はともかくとして)成功している日本へと向けられるのです。ナショナリズムは真空では存在できない。私たち自身も過去の経験から知っているように、いつだってそこには目に見えて解りやすい『敵』が必要なわけです。その目標として、日本人は戦後から着々と平和と経済成長を積み重ねることで、見事にその敵としてふさわしいポジションに成長してしまった。
かつて自分たち(中国人に)ヒドいことをやったくせに、しゃあしゃあと現在の国際体制から利益と平和を謳歌している日本は許せない、なんて。
それは単純に日本を嫌っているというよりは、彼らは先進国によって勝手に形成された既存の国際体制が中国に不当に不利に作られていると確信――まぁそれはそれなりに正しい――していて、そしてその既存の国際体制から最も利益を得ている国の一つが日本であるとも確信――まぁこちらもそれなりに正しい――しているのです。
現代中国にとっての現代日本は、やっぱり私たち日本人自身の意識はともかくとして、直接の敵というだけでなく「既存の国際体制がもたらす不当な権益の象徴」というありがたいポジションまでも獲得してしまっている。
近い例で言うと、イスラム過激派にとっての欧米文明のような感じに近いのかもしれません。(もちろんある程度の真実は含まれているにしても)兎に角なにもかもアイツらが悪い。まさに諸悪の根源、悪の象徴として。




さて置き、では私たち日本は、ほとんどとばっちりのような生贄的な中国の反日ナショナリズムに、一体どう対抗していけばいいのか? と言われると困ってしまうんですよね。

 最悪なのは、外交で中国に安易な勝利を与えて、共産党が国内の改革要求をかわすのを手伝ってしまうことだ。そんな事態は絶対に避けなければならない。

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結局のところ、悩ましいのはここなのだろうなぁと。
日本国内でも一部にそうした意見があるように、中国に譲歩した方が得るものが大きいならば、当然譲歩したっていいんですよ。
しかし、その譲歩がより大きなデメリットをもたらすのならば絶対にそれは適切な選択肢とはいえない。そしておそらく、上記リンク先でも述べられているように、中国に譲歩するということは結果的に中国国民が要求するあって当然の政治改革をより遅らせることに、かなりの高い確率で繋がりかねない。まさに現状の中国のやり方を肯定するということは、無駄に軍事費に金を使うくらいなら国民の社会保障に使ったらどうかね、という当然の改革派の意見も否定することになってしまう。譲歩することそのものが反日ナショナリズムの効果を延命しかねない。
まぁもちろん中国国民のことなんてどうでもいいし、同じ中国の台頭に悩む周辺国のことなんてどうでもいいし、つまり自分たちが生きているこの瞬間さえ平和であれば後はどうでもいい、という一部の日本の人にあるような愉快な一国平和主義であれば好きにすればいいと思うんですけど。
しかし個人的にはあまりそうした地平には開き直れないよなぁと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?