枯れない余剰労働力はなかった

かつての先進国と較べても「ユニーク」だった中国の経済成長物語の終わり。そのユニークさの源泉だったものの終焉。


Hitting China’s Wall - NYTimes.com
ポール・クルーグマン先生の珍しい(?)中国さんちについてのお話。
クルーグマン:中国、壁にぶつかる - P.E.S.
英語ツライという人は、日本語に訳してくれているとてもありがたい方がいらっしゃるので是非そちらへ。

こんなことがどうして可能だったりするのか?何が消費をこれほどまでに抑えているのか?そしてどうやって中国は(これまで)そのリターンが大きく落とさずにそれほどまでに投資し続ける事ができたのか?その答えは激しい論議の的である。しかし私がみるところもっともありそうな理由は、経済学者W・アーサー・ルイスによる古い洞察によるものだ。彼は経済発展の初期の段階にある国々は大抵、小さな近代的セクターと、大規模な「余剰労働力」、つまり経済全体の生産にはほとんど貢献しないような不完全雇用の農民を持つ大きな伝統的セクターをからなっていると論じた。

この余剰労働力の存在は、二つの効果を持つ。まず第一に、しばらくの間、そういった国々は新しい工場や建設、その他への大きな投資をリターンを下げることなく行う事ができる。なぜなら田舎から新しい労働力を呼び込み続ける事が出来るからだ。第二に、この余剰の予備軍からの競争によって経済が豊かになった後ですら賃金が低く抑えられることになる。実際、中国の消費を抑え込んでいる主要な要因は、中国の家計が自国の経済成長によって生み出されている所得の大半を目にすることがなかった事であるように思われる。そういう所得の一部は政治的なコネのあるエリート層に流れるが、しかし多くは単に、国営企業がその大半を占める財界の中に溜まりこんでいたようだ。

これらは全て、我々の基準で見れば非常に変わっている事だ。しかし数十年に渡って上手くいっていた。だがついに、中国も「ルイス・ポイント」にぶつかってしまった。簡単にいうと、余剰の農民が無くなったのだ。

クルーグマン:中国、壁にぶつかる - P.E.S.

クルーグマン先生が仰るところの、所謂『ルイス・ポイント』『ルイス・ターニング・ポイント』『ルイスの転換点』について。農村社会から流入する余剰労働力が続いている間は経済成長と低賃金が両立できるけれども、しかしそれは当然いつか枯れてしまう。そして中国は、ついに――ようやく、その転換点に到達しつつある。
China approaching the turning point - Growth and China
この中国のルイスポイントの関連のお話としては、少し前にもこの辺りでも述べられていました。


さて置き、本文中でも「古典的」と指摘されてもいるように、昔から言われている――というか現在の先進国たちが「かつて通った道」なのだから当たり前だとも言える――お話ではあるんですよね。それは産業革命を最初に成し遂げたイギリス以来ほとんどどこでも見られる光景であり、もちろん私たち日本も例外ではない。
農村からやってきた貧しい(余剰の)労働者たちは、都市部のそれと比べても安い賃金で働くし、そして都市部のそれよりもずっと我慢強く真面目に働く。ほとんどどこの国でもかつて見られた経済発展の初期段階にある風景。
そして中国をそれらの前例と比較して見たとき、中国の成長という物語がなぜこうも劇的だったのかといえば、それはその数が膨大であったからなわけです。ある種のボーナス期間でもあるこの時間は当然、地方にいる農民が減り続けていく過程で必ず終わりを迎える。そして、その後は極当たり前に全体の賃金が上昇していくことになる。
中国の成長物語が真に「ユニーク」であったのはこの点こそが全てであると言っていいほどであります。別に中国の労働者たちが殊更に従順であったわけでも必死でもあったわけでもなく、単純に10億を越える人口から当たり前に導かれるその膨大な農民たちの数によって達成されていた。そしてだからこそ、中国の成長物語はここまで劇的なモノとなったのです。


ちなみに中国のこの膨大な余剰労働力の基礎となったのが単純に土地と大きさや人口の多さというだけでなく、もう一つ中国伝統の『戸籍制度』だったりするんですよね。
アングル:中国都市部に「闇診療所」、戸籍制度が生む格差の連鎖| ワールド| Reuters
つまり中国って、20世紀の後半――改革解放が始まる頃になると徐々に緩和されたものの、計画経済の一環としてその多くで農村から都市部に勝手に移ることを禁止されているわけであります。都市部へと出稼ぎにいくにしてもそれは許可が必要だった。現在でも尚、彼らは厳格な戸籍制度によって膨大な数の農民を農村地帯に閉じ込めている。そうやって本来あるはずの労働力の移動を不自然に抑え込んできた結果が、現在のこの膨大な数の余剰労働力へと繋がっていたのです。まぁそれが時代を経て経済成長のエンジンとなったのは皮肉な話ではありますけど。


ところが、止まない雨はないように、明けない夜はないように、枯れない余剰労働力もなかった。使えば当然なくなってしまった。
ついに中国さんはその貯金――といってもやっぱり上記戸籍制度による中国政府による農民への抑圧の残滓でもあったんですが――を使い果たしつつある。まぁその意味では、ようやく中国「以外」の世界の工場を目指す国の出番が回ってくるというお話でもあるのでしょう。その意味ではそうした順番を待っていた国々にとっては福音でもあるんですよね。なにしろ中国さんはその『安い労働力』という地位をそれはもう長期間圧倒的に独占し続けてきたわけだから。ところがそんな中国さんの失速が周囲を巻き込んでいるのが現在の笑えない構図でもあるんですが。ザ・痛し痒し。


何はともあれ、中国さんは最早これまでのやり方でやっていくのは無理ということなのでしょう。遅かれ早かれやってくる結論ではある。まぁ殊更に遅かったんですけど。
じゃあ彼ら中国共産党の中の偉い人たちは、継続的な成長こそがその前提にあった彼らは、これから一体どうするつもりなんでしょうね?