シリア介入議論が私たちに真に突きつけるもの

国益』とは一体どこからどこまでが含まれるのか?


米国は「世界の警察官」を辞めてしまうのか
辺りを見ていて考えたお話。シリアにおいて、行動すべきか行動しないべきか、というアメリカのジレンマについて。
例えばこれが自国の生存に関わるような安全保障上の直接の問題、あるいは「国益」に直接関わることであれば、むしろ話は簡単だったんですよね。だってそれならば、事実上そこに選択の余地はなかったはずだから。
――しかし、シリアはそうではない。
直接に関係あるとはとても言えないけれども、しかしだからといって、間接的に無関係であるとも決して言えない。いつだって外交政策にはその曖昧な部分でこそ、最大のジレンマが生まれることになる。両者の意見のうち別にどっちが正解でどっちが不正解とかそういう問題ですらなく、なのでそこではまぁ、しばしば、良識のある人々の間で意見が割れることになる。「動くべきか、動かざるべきか」問題は、いつだってそのグレーゾーンの場合にこそ存在するのです。
最大限『間接的国益』を大きく見て保険として無制限に介入すればいいなんてことが現代ではとても言えるわけがないのと同様に、しかし逆に『間接的国益』を出来るだけ小さく見て自国に直接関係がないからといって遠く離れた海の向こうで何万人虐殺されようが化学兵器が使われようが無視するべきである、というのも同時にまた絶対に正しいとは言えませんよね。


――では、その線をどこで引けばいいのか? と言われると私たちは困ってしまうわけで。


この辺はより大きな地域的・地球規模での国際問題でも近い構図にあるでしょう。例えば途上国における貧困問題や地球温暖化問題、あるいは最近の日本でもマグロなんかで大きな話題になっている国際的対応の必要な漁業資源管理の問題など。
より近視眼的に言ってしまえば、わざわざ自分たちだけが積極的に動く必要なんてない、と言ってしまえば確かにその通りなのです。そうした面倒なことは他国に任せて、常に(短期的な)自国の利益第一主義であればいい、なんて。でも――こちらではごく当たり前に叫ばれているように――そんな不誠実なプレイヤーばかりでは、結局、大きな問題はなにも解決しませんよね。
いつだって誠実な人間は、不誠実な人間にとっての最後の砦である。多数が関わる共通課題においては一部の誰かが努力すればするほど、その裏でサボれる人間が増えることになる。他者の視線なんてどうでもよくて、ただただ利己的なフリーライダーであり続けたいと言うのならば、まぁ確かにそれも一つの選択肢でありますけど。



もちろんそうした国際問題と、ついに軍事介入が議論されるようになったシリアを同じレベルで話すのもあまり正しい比較とは言えません。当然、軍事介入以外に他にできることがあるのならば、そうするべきでしょう。
――でも、最早現状のシリアではそんなモノ存在しないわけで。現状残されている選択肢は最早「それでも介入」か「このまま放置し続ける」という事実上の二択以外には残っていない。
シリアへの違法な軍事攻撃の企てに強く反対する――志位和夫委員長の談話│・・│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会
この辺は赤旗さんがものすごいヌルいこと仰っていて苦笑いなんですが、そんな『対話』が通用する段階はもうとっくに通り過ぎてしまったんですよ。周辺地域連合であるアラブ連盟の仲介も、利害関係国たちによる対話も、国連の仲介も、全て失敗に終わった上で現在がある。
だから上記赤旗さんのような今更ながらのシリア『対話』論者は、ならばどうやれば(これまで全て失敗に終わってきた)シリアの当事者たちを対話のテーブルに着けることができるのか屏風から出してみてください、というレベルのお話にしかなっていないのです。なので個人的には、上記赤旗さんのような「そうではなく対話しよう」というのは、そもそも私たちが真に向き合わなければいけないはずの問題から逃げている欺瞞的な態度にしか見えないんですよね。


遠く離れたシリアに軍事介入するほどの価値はあるのか? ないのか?


つまり現在のシリア問題とは、そうした対話のための努力が全て失敗に終わった上で、最後の手段・賭けとして――もしかしたら対話が始まるかもしれない一縷の望みとして「限定的な軍事介入」をすべきか否か、という現実の前に私たちは立たされている。かくして現在シリアの問題が私たちに真に問いかけているのは、「(部外者である)自分たちにとって、それでもシリアに介入する価値はあるのか?」という点にこそあるのだと思います。その理由はこの際問題ではなくて、人権でも利権でも正義でも何でもいいのです。
英議会、対シリア軍事行動の動議を否決 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
先日も少し話題にしましたけど、ああしてイギリスでは政治家側は旗を振っておきながら見事に民主主義で否定された。彼らにとって、遠く離れたシリアのことは「軍事介入するほどの価値はない」と言っている。それはそれで一つの解答であって、別に正解とか不正解とか言いたいわけではもちろんありません。それでも、こうして解答して見せたこと自体はやっぱり評価できるよなぁと。
さて、アメリカはどうなるでしょうね。




おおむね他人事ではありますが、日本の私たちだって完全に例外というわけでもなく、民主主義国家において国益とは何か、結局私たち自身がその答えを出すしかないのです。自身に負担があるのを承知で支持するのか、あるいはシリアにそこまでする価値はないとして(これまで二年以上何も成果が出ないまま11万人が死亡し化学兵器まで使用された)『対話』路線をこのまま続けるのか。
果たしてシリアに軍事介入するだけの価値はあるのか否か。


みなさんはいかがお考えでしょうか?