機械化の果てにやってくるのは失業ではなく転職

限りなく紙一重だろうと言ってしまうと身も蓋もありませんけど。



技術が進化し機械化が進んだとしても労働者が仕事を奪われることはない - GIGAZINE
まぁ経済学でしばしば言われるネタではありますが、お話としては正しいのだろうなぁと。

アトキンソン氏は、「機械との競争」でブリンジョルフソン博士とマカフィー博士は機械が労働者に置き換わるときに生じる効果を単なる人減らしという一面的な事実として捉えていることがミスの原因だと指摘します。アトキンソン氏によると、労働者が機械に取って代わられるときには違う効果が生じるとします。それは、機械化によって節減できた費用は経済全体に還元される、というもの。例えば、機械化によって商品価格が下がり購買力が高まること、企業が高収益を出し他の商品サービスが生み出されやすくなること、残された労働者へ高い賃金が支払われるようになること、などの経済効果が発生し、需要が刺激される結果、他の会社がより多くの労働者を確保する流れになり、結果として単なる人減らしにはならないということです。

短い期間では機械化による生産性の向上は失業率に影響するという研究結果があると同時に、長期的には生産性の向上は就業状況にほとんど影響を与えないか良い影響を与えることが多くの研究から明らかだとアトキンソン氏は指摘します。

技術が進化し機械化が進んだとしても労働者が仕事を奪われることはない - GIGAZINE

ミクロな視点で見るとそれはもう「機械によって仕事を奪われた失業」そのものであるわけだけど、しかし一方マクロな視点で見るとより新たな市場を生み出すことで雇用そのものは増大している。実際そうなのでしょう、だって人間の欲望には限りがないのだから。故に、どこかで満足すれば、必ず他の何かを求めようとする。これが人間のサガか。
ということで現代に労働者として生きる私たちはそんな失業に備えて高度な専門知識や技術を、あるいはいざという時に転職できるように常に代替選択肢を用意しておく必要がある。それ(日常的な個人的努力)さえあれば雇用の総需要は増しているはずなので、総体として長期として見れば、仕事にありつける可能性は昔ほど低くはない。
でもやっぱり仕事を奪われた個人にとっては、別にその後にやってくるのが失業だろうと転職だろうと、要求されるハードルが上がっただけで大して苦労としては違いはないだろうと言うのはその通りなわけで。そうやって失業した人に対して「お前が仕事を奪われることで、より多くの人たちの仕事が生まれたんだよ」と言ったところで何の慰めにもならないのは確実でありますよね。



昔は、というかこれまではその機械化への移行のサイクルが長かったからどうにかなっていたんですよ。だからこそ終身雇用なんてマネもできていた。ところが現代社会はそうではない。もうこれまでは考えられないスピードで機械化の流れは私たちを追い立てるのです。まぁこの辺は別に機械化に限ったお話ではなくて、あまりにも激しい競争によってそもそも企業や事業の平均的な寿命そのものが旧来より短くなっている、という面もあったりするんですが。どれだけ画期的であろうと、その後の激しい競争によって陳腐化は恐ろしいスピードでやってくる。
つまり私たちがかつて実現しそして今では夢見る『終身雇用』というシステムは、別に企業側の善意や努力が単に足りないから消失してしまったわけではなくて、むしろ「今やっている仕事」がそんなに長く続かないからこそ、維持できないのです。いつかそれは機械化されてしまうかもしれないし、どちらにしても競争の果てに陳腐化してしまっている可能性は高い。



私たちは次の転職に備えてより努力を続けなければいけない。しかしある意味では、そうした個人的なスキルを高め続ける努力が報われやすい世の中になりつつあるとも言えるんですよね。労働市場が硬直したままよりも、ずっと優秀な人間はより生きやすい社会。
やったね! がんばる人が報われやすい世の中にまた一歩近づいたよ!


――でも、世の中そんな風にがんばれる人だけなのかというと……以下略。そして避けては通れない社会保障の問題へ。