ウィルソンがつき ルーズベルトがこねし 介入餅 座りしままに食うはトルーマン

いやまぁ実際には家康だってトルーマンさんだってかなり頑張ったんですけども。収まりがいいので許してください。建国以来あったアメリ孤立主義から国際主義、そして介入主義への転換点について。


「世界の民主主義を守るためにアメリカは立ち上がらないといけない」この傲慢な発想はどこから来たのか? パットン将軍、自腹でシアーズ・カタログから部品を購入 - Market Hack
うーん、まぁ、まるっと完全に間違っているとは思いませんけども、確かに結論部分を中心に論理展開が大雑把過ぎてちょっとアレかなぁとは思うところではあります。
nix in desertis:アメリカ外交史の転換点は?
この辺りの問題点を上記『nix in desertis』サイト様が詳しく指摘されているので、もやっとした方はそちらを参考にするとよろしいかと思います。
以下、あくまで独断の偏見に基づいた「そんなアメリカのやり方は何処から来たのか?」についての個人的な意見についてのお話。




まず大前提としてあるのが、アメリカの国家指導者たちにとっては『人権』や『民主主義』はあくまで建前でしかなくて、そもそも彼らが追及したのは徹頭徹尾「自国の安全」でしかないんですよね。その上で「結局第一次大戦も第二次大戦も、事前に止めるチャンスはあったのに、しかしアメリカが黙って座視していたからこうなったのだ」という反省の下、外交方針を転換させていこうと努力を重ね、第二次大戦の終わり際になってようやく結実するのです。
ウィルソンさんは、その意味で言うと余りにも早過ぎた故の必然の失敗であり。まさに例外でしかない。そしてもっと言えば、彼は孤立主義アメリカをいっぺんに変革しようと、完璧な国際主義を実現するために余りにも非妥協的な態度をとってしまったのです。学者としてはそれでよかったかもしれないけれど、しかし妥協こそが本質である政治家にはまったく向いていなかった。

そんなアメリカの消極主義を変えるイベントは2回あり、いずれも世界大戦に絡んでいます。1回目は第一次世界大戦で、このときアメリカはずっと「関わりたくない」として欧州のいざこざに対して距離を置く態度を持っていました。しかしルシタニア号の沈没など、アメリカの民間人がターゲットにされることが頻発したため、戦争反対を公約に当選したウッドロウ・ウイルソン大統領は、選挙時の公約を自らやぶり、参戦する決断を下します。そのとき、ウイルソン大統領は議会で「民主主義を擁護するために、紛争を止めさせなければいけない」という有名な演説をします。この演説こそが「スーパーヒーロー症候群」のひな型となる演説です。

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こちらの原文の方はそんなウィルソンさんをその祖に上げておりますが、やっぱり『nix in desertis』さんの所で指摘されている通り、象徴としてのイベントをあげるのならば、やっぱりトルーマン・ドクトリンの方ではあるのでしょう。他にも国際連合加入など、概ねトルーマン大統領時代こそが表舞台としての決定的なタイミングであるのは同意する所ではあります。
ただ個人的に別の意見として、トルーマンさんよりも先に、そしてウィルソンさんよりも現実的な手段で、「アメリカ国内における政治意識を――原文中のタイトルを借りれば「傲慢に」――変化させた」という点で、一番大きな役割を果たしたのはルーズベルトさんなんじゃないかなぁと思うんですよね。


まぁ日本では丁度戦争中の敵国指導者であり当時の敵対的な対日政策の事実上首謀者とあって色々とアレですけども、やっぱりあちらでは『最も偉大な大統領』の一人ともされているわけで。つまるところ彼はあの苦難の戦時中に、しかしウィルソンさんが失敗したような国内の党派対立を上手く回避し、国家を一つに纏め上げることに成功した「偉大な」大統領であったわけですよね。
特にルーズベルトさんをはじめとする前述した「アメリカの不作為」による世界的危機を懸念していたその時代の政治家たちは、ウィルソンさんが失敗した『国際連盟』構想の破綻の顛末をきちんと教訓とした上で、アメリカという国家に根強く残っていた内向きな態度を国際主義へと転換させることを――まさにウィルソンさんのやり方とは逆に――ゆっくりと水面下で進めていったのです。1930年代前半という戦前からその新しい国際秩序構築に取り組むことで多くの時間を掛け、党派対立を避けるために理想主義と現実主義のバランスを図り、海外の賛成だけでなくまず国内の同意を得ることを最優先に行動した。そしてもっと言えば、ルーズベルトさんは、大衆の意見を根本的に信用しようとせずに、ひたすら秘密裏にその計画を進めた。
彼らは単純にウィルソンさんの目指していた所へ向かったわけではないのです。むしろ、あまりにも劇的な変化を起こしてしまっては必ずその反動で、再びアメリカという国家が内向きに引き篭もってしまうことこそを恐れてもいたのです。そうすれば三度、世界大戦が起きかねない。
――そこで彼らが目指していたのは、戦後再びアメリカが世界への関与を避けようとする、のを防ぐ為の「抑制された」国際主義でありました。
こうしてルーズベルトさんの政治的手腕と、完全な孤立でも完全な理想主義でもない曖昧な変化だと演出することによって、アメリカの外交政策の最初の転換が実現するのです。かくして1920年には否定された国際連盟加入が、次の1945年には見事に実現する。それまで自分には関係ないと世界の問題から目を背けることを選んできたアメリカが、世界的な問題を解決する為に積極的に関与することを認めるに至った、決定的な最初の一歩。


さて置き、こうして第二のステップを踏み出したアメリカは、しかし大戦後になって圧倒的な脅威であるソ連の登場をして、更なる介入主義へと舵を切らねばならなくなります。原文のタイトルにある「世界の民主主義を守るためにアメリカは立ち上がらないといけない」というのは、まさにこのトルーマンさんの時代に、議会や民衆を支持を得るために敢えて強い言葉を使ったのが最初ではないかと思います。
ソ連の登場によって、そんな曖昧な状況だったルーズベルトさん時代から更にもう一歩踏み込まねばならなくなったアメリカ。故にトルーマンさんたちは「解っていて」そのような強い言葉を、ある種の掛けとして使うようになっていくのです。そうしなければ、おそらく議会や民衆の支持を得られない、という政治的判断の下に。そしてマッカーシズムへ。
――でもあれって単純にアメリカ世論の暴走というよりは、上記理由から熱狂を煽らなければそもそも冷戦を戦い抜くだけの支持が得られないだろうとはじめてみたら予想以上に上手く行き過ぎてあんなことになってしまった、というお話でもあるんですよね。まるでどっかの反日デモのようです。
つまり「アメリカが動かないと世界がヤバイ」というのは、そもそもが冷戦を戦い始めるにあたって議会や民衆を動かす為に使われたただのスローガンでしかなかった。人権と民主主義を守る正義の国アメリカ。まぁそれがあの冷戦構造を経ることで真っ赤な嘘というわけでもなくなってしまい、そんなスローガンに過ぎなかった言葉が現実に力を持ってしまったことが不幸のはじまりでもあったのでしょう。
嘘から出た実。





ということでまぁその変化のタイミングについてやっぱり見る人によってどこに重視するかはそれぞれなんでしょうけども、、個人的にはウィルソンさんを出すくらいならば、むしろルーズベルトさんの方が大きな役割を果たしたのではないかなぁと。まさに彼らは「アメリカが海の向こうの問題を座視することによる危機」を念頭にした上で、ああしてアメリカの外交政策を転換させていったのだから。
ただ、結果論でいえばルーズベルトさんのそのような曖昧で妥協的な態度こそが、現在まで尚続く「肝心な時に機能しない」国際連合が生まれてしまった最大の理由でもあるんですよね。しかしそんな国連でなければそもそも生まれていなかっただろう、というのはおそらく正しい仮定なのではないかと思います。あの当時にそんなルーズベルトさんによる骨抜きの国際連合以外に実現の可能性があったのかというと、たぶん、ほとんど、なかった。
今の機能不全な国連の問題って、当時にあったアメリ外交政策の転換の余波が現代まで続いているとも言えるのかもしれません。