強すぎた故に保護されなくなっていったキリスト教と、強すぎない故に保護され続けたイスラム教

前回日記を受けての本題。


宗教と民主化 - himaginary’s diary
ということで上記himaginary先生のところの面白いお話見ていて考えたお話。アラブ=イスラム世界で民主主義がなかなか根付かないのは、そのイスラムの窓口である宗教団体の在り方にあるのだ、というなんだかとっても救えないお話。

アラブ=イスラム世界における民主主義の欠如は、民主化を研究する学者にとって「驚くべき特異現象」である。イスラム教徒が多数派を占める民主国が既に何カ国か存在することから、この現象は宗教そのものが原因とは考えられない。価値観、文化、経済発展、天然資源、植民地の後遺症、といった一般的な説明も論破されている。地域集団が「共有資源を管理する」制度を確立する能力に関するオストロムの分析手法を適用し、宗教の資金調達に携わる団体の歴史的な変遷を基に、我々はこの謎に対する新たな説明を提示する。北欧や西欧では、地方の宗教団体が取り仕切る宗教的および世俗的なサービスのための資金は「下から」調達されてきた。そのため、擬似民主主義的な代表制、透明性、説明責任を有する地域の体系が形造られた。アラブ=イスラム地域では、宗教的および地域の世俗的なサービスのための資金は「上から」調達されてきており、資金源である民間の財団は代表制や説明責任の体系を欠いていた。従って、宗教ではなく、宗教がどのように資金を賄ってきたかが、アラブ=イスラム地域で民主化が成功しない理由を説明しているのである。

宗教と民主化 - himaginary’s diary

まぁ言われてみれば解らなくないお話ではありますよね。前回日記で書いたように、制度学派経済学的な考え方。つまり、現在の(経済的)繁栄の有無は、優れた制度の有無が決定する。そして、多くの地域でのイスラム教の宗教団体の運営手法は、悲しいことに――もし民主主義を「優れた」政治システムであると仮定するならば――ポジティブな影響を与えるよりは、むしろネガティブな影響の方が大きかったと。


単純にキリスト教が優れていたからでも、あるいは逆にイスラム教が劣っていたからでもなくて、その宗教の社会における位置付けが後の民主化の難易度を左右した。まぁやっぱりそれなりに納得できるお話ではあります。
バチカンという圧倒的な国際的宗教勢力があったために、最終的に各地の王権と必然の如く対立していった結果、足元の庶民たちの信仰を支えていたキリストの宗教団体は国家ではなく地方自治的な住民からの支援に頼るようになっていく。一方でイスラム教はそのような――究極的に王権=国家権力と競合するような外部の大宗教勢力が――存在がしない故に、密接に国家権力と結びつき国家から保護され続けた為に、地元の信者に対してはそのような透明性を確保する必要が生まれなかった。
実際、現代においてもサウジアラビアなどの国家では憲法が「イスラムの原則を保護するのは国家の義務である」と規定しているんですよね。イスラム教を広めるのは国家の義務である故に、それは国家から援助される。例えばコーランの印刷と配布なんかはまさに国家が負担しているわけで。それは単純に国家が宗教に従属しているわけでも、あるいは宗教が国家に従属しているわけでもなくて、古来から続く「権力と宗教の融合」という限りなくwin-winの関係として。しかし、キリスト教はあまりにも強すぎた――国家権力と結びつくとあまりにも悪影響が大き過ぎた――故にその関係性は、長続きしなかった。
また別の要素としては、あの1895年の回勅『レールム・ノヴァールム』に見られるように、キリスト(カトリック)教が国際的な広がりを持つ指導力を維持し続けたからこそ、民主主義や世俗化や工業化といった近代化の変化の中で、彼らが教会を上手く方針転換させることができた理由でもあったのだろうなぁと。




(宗教が政治に与える影響力として)強すぎた故に致命的な戦争とその反省からの非保護を招いたキリスト教と、逆に弱かったからこそ致命的な戦争を経験せずに保護され続けたイスラム教。そして現在ではその影響力の強さはまったく逆転している。
確かに両者の宗教的性格云々というよりは、その取り巻く環境こそが決定要因であるあった、というのはまぁやっぱり面白いお話ではあるなぁと思います。
――でもそれって微妙に間接的になっただけで、やっぱり「イスラム教がダメな理由である」と言っているのと余り大差ない気はしてしまいますけど。


キリスト教イスラム教の、民主主義の相性の差について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?