(巨大市場としての)音楽は衰退しました

NO MUSIC, NO LIFE.』の果てにあったもの。




刑事罰適用1年 売り上げ回復せず NHKニュース
ということで案の定というべきか、ボロクソな反応ばかりの「ファイル交換ソフト使用を減らしても、結局効果はなかったよ」報道であります。斜陽のレコード産業が努力してきた海賊版利用対策について。ずっと無駄だ無駄だと言われつつも、それでも彼らが必死にしがみついてきた末路。
でもまぁぶっちゃけ、約束されていた敗北、ではありますよね。



以下その背景についての適当なお話がだらだらと長くなってしまったので、『音楽』という商品がたどった道を三行でまとめると、

あるとうれしいもの(先進性・希少価値)

あって当然のもの(日常化)

敢えて急いで用意するまでもないもの(競合状態)

そんな風に音楽という存在が進化してしまったからだよね。というそんな三行で終わる日記。おわり。





敢えて雑文を読むという奇特な人のための続きを読む。




でもまぁこうやって、自分以外の他の誰か=違法コピーが悪いんだ、としたくなる気持ちは解らなくはないんですよね。人間誰だってそんな気持ちは多かれ少なかれあるわけで。ましてや、90年代には巨大市場に膨れ上がり文字通り世界中を席巻した「あの」日本のレコード産業ならば尚更。
『NO MUSIC, NO LIFE.』の果てにあったもの - maukitiの日記
音楽の若者離れ - maukitiの日記
以前の日記でも書きましたけど、おそらく彼らにはそんなあまりにも眩しい成功体験があるからこそ、薄々効果なんて解っていながらも、しかし「現状の苦境は、海賊版利用こそが原因である」という所から抜け出すことができなかったのだろうなぁと。当事者でない私たちからすれば、一体何でこいつらは見当違いなコトを言っているんだ? という感想を持たずにはいられませんけど。
――しかし業界の一部の人びとにとってはまさに本気であったのだろうし、あるいは解っている中の人も居たんだろうけどもしかしこうして実際にやってみないことには反対派を説得することもできなかったのだろうなぁ、と生暖かい気持ちになる構図ではあります。
結局の所、特に批判が根強いネット上などで必要以上にこの顛末が殊更に反感を持たれてしまうのは、こうした点にあると思うんですよね。別にネットユーザーがファイル交換ソフトに親和的とかそういう問題ですらなくて、この「悪いのは俺じゃない、アイツらだ!」というバカげた態度こそが、その業界が叩かれる要因であると。




さておき、じゃあ一体何で彼らはこうして劇的に凋落しているのか?
――といえばそれはもう身も蓋もなく、音楽という産業の「相対的な」凋落、でしかないわけで。
別にかつてと比べて絶対的な価値として音楽が落ちていったのではないと思うんですよね。むしろ中身としてはそれなりに進歩しているとさえ言えるかもしれない。ただ、最早彼らには当時あったような、一般大衆に一挙に浸透し始めた、というその特権的なボーナスを享受していた時代こそが失われてしまったのです。ほぼ普遍化が行き着くところまでいってしまって、日常の一部になってしまっている。新しく登場した商品は、その当初はただそれだけで価値があり、人々にとって持っているだけでステータスがあった。
ところが、もうその特権的な地位ではなくなってしまった。かつてはその音楽プレイヤーという単一機能だけで一大ヒット商品になってさえいたものが、現在は多種多様な機能のごく一部でしかなくなってしまっている。だからこれまでが特別だったのであって、これからがどうやってその『音楽』という商品を維持し続けていくか、これからがむしろ本番であり本来の問題であるはずなのです。


その意味で言うと、これは別に彼ら『音楽』だけにやってきた不運なんかでは決してありませんよね。むしろ誰でも通る道ではある。
例えば、ゲーム業界だって同じ道をたどっているわけで。据え置き型にしろ携帯型にしろ店舗設置型にしろ、最早全盛期と比較すれば、完全に潰えてはいないにしろ決定的に等しく縮小している。もちろんそこでは音楽の違法コピーと同様に、違法コピーが蔓延しているわけなんですが、しかしそれでも彼らは「原因の一部」という言い方はしても、それが原因の全てであるという言い方まではしない。*1
その他にも、テレビや映画や漫画や小説などでも既に通り過ぎた道であります。それらは「存在しているだけで」価値のあった特別な時代はもう完全に終わっている。別に昔のゲームの方が出来が良かったからとか、今のドラマやアニメが不出来だからとかそういう本質的な中身の比較の問題ですらないのです。それはもう市場に溢れ、誰にでも手が届く場所に降りてきてしまった為に、わざわざ対価を支払ってまで手に入れる価値が「相対的に」なくなってしまっただけなのです。
ぶっちゃけてしまえば、登場時にあったブームが終わってもう飽きられてしまっただけ。



私たちにとっての『音楽』という商品もそうなってしまった。あまりにも一般化し過ぎたせいで、逆に特別な価値はなくなってしまった。


だからこうした一般化・日常化・コモディティ化という流れは、ある意味では諸刃の剣であるんですよね。それが一般に広まる過程で市場は限りなく大きく膨らんでいく。そうやって新しい商品やサービスは、一時代を築くのです。
しかし、それは必ず普遍化し一般化の果てに、膨張はいつかどこかで止まり、相対的な価値を失うことになる。だっていつしか必ずそれは――私たちにとって限界のあるリソースである時間消費や金銭消費という面で――「それ以外の何か」と競合してしまうから。そしてその競合の際に、当然「価値の低い」モノは優先順位が下げられる。
そして『音楽』という商品もそうなってしまっただけ。


ちなみにこの構図を逆手にとっているのが、よくあるブランド商品を販売する企業の戦略であるわけで。世界的に有名なブランド商品は鞄や衣服や時計や車など様々ありますが、彼らはより多く作れば売れると「解っていて」しかし敢えてその数を絞るのです。作るのに手間暇が掛かっているとかそういうのは商売文句に過ぎない。
だって、あまりにも市場に溢れてしまったらその「限定されているから価値がある」という自身の商品の強みが消えてしまうから。
限りない市場の規模の極大化=一般化を求めるのではなくて、細く長くやっていこうと考える人々。まぁ確かにそれは是非の問題と言うよりは、戦略の一つでありますよね。





ということで話を戻して、「やってみなくちゃ解らない!」とばかりにやってみて見事に効果のなかった今回の顛末は、まぁ中の人たちへの意識改革の一つとなればいいんじゃないかなぁと。確かに壮大に時間の無駄にはなりましたけども、こうして明らかな現実を突きつけられることで、誰にでも分かりやすく現状を理解することができるだろうし。
確かに私たちにとって音楽は日常の一部になった。別に音楽そのものの価値が低下したわけではなくて、一般化した故に相対的に市場は小さくなってしまった。『NO MUSIC, NO LIFE.』の果てにあったもの。
――そんな広告が現実となり日常にあるようになったからこそ、音楽は日々の生活に溢れるそれ以外の何かと競合するようになった、というだけ。もう特別な存在ではなくなってしまった音楽。果たして私たちはそれを、喜ぶべきか悲しむべきか。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:まぁ一時期は、中古市場がわるいんや! なんて斜め上に走ったりもしましたけど。