ポピュラリストからポピュリストへと堕ちた橋下さん

ただのポピュリズムとは微妙に違う何か。


朝日新聞デジタル:「橋下不敗神話」崩れる 堺市長選 維新、傾く党勢 - 政治
ということで橋下さんは大事なお膝元であったはずの堺市長選で負けてしまったそうで。まぁ既に参院選で明らかになりつつあった橋下旋風のおわり、と言ってしまってはそれでおしまいではありますが。おわり。
橋下徹氏は既に「オワコン」なのか? | ハフポスト
でもそれだけじゃ寂しいので上記政治家としての橋下さんの分析記事を見ていて何となく考えた、彼の政治手法の顛末から見る人気のある(あった)現代政治家の典型的な姿について、の以下適当なお話。

 維新にとって今回の堺市長選は大阪都構想の実現に向けた一里塚だった。都構想に含まれる堺市有権者の支持を得て、その勢いで2014年秋に予定する住民投票過半数を得るシナリオだった。

 ただ、厳しい選挙戦になることは、橋下氏自身も感じていた。

 参院選の開票が進む7月21日夜。橋下氏自身の旧日本軍慰安婦をめぐる発言の影響で逆風だったにもかかわらず、大阪選挙区の維新候補は投票締め切り直後に当選が確実となった。大阪市内のホテルで歓喜に包まれる党幹部らをよそに、橋下氏はこう漏らした。

 「自民党民主党の票を足したらきついなあ」

朝日新聞デジタル:「橋下不敗神話」崩れる 堺市長選 維新、傾く党勢 - 政治

まぁ実際、橋下さんの人気が陰り始めたのが「国政」についての意欲を見せ始めた頃、というのは個人的にもやっぱり同感ではあるんですよね。彼は自らの手を広げすぎてしまったために、その失敗が地元にまで跳ね返ってきている。結局の所「彼が国政に打って出ようとした」ことの最大の失敗は、別に彼個人の政治家としての才覚云々の問題ではなく、大阪でのやり方をそのまま同じような手法で国政にもやろうとしたことこそが失敗であるのです。現実には何の権限も持たないくせに国政に口を出そうとしてしまったことこそが、彼のその胡散臭さを決定的に強調してしまった。
もしあのまま維新の会がより政治的影響力を握り、彼の発言が現実の力さえ持っていれば、おそらく地元大阪と同じように、多くの支持を得たんじゃないかと思うんですよね。
――しかし、幸か不幸か、現実はそうはならなかった。




そもそも橋下さんがありがちなタレント候補というだけでなく、むしろ実際に府知事・市長と政治家になってからは「より一層」地元では支持されるようになった、という点に、彼の政治家としての人気を支える根本的な理由があるわけで。
つまり、彼の奔放とさえ言える言動は、単純にポピュリズム的な意味合いから支持されているのではなくて、実際に政治権力を持っている人間が言うからこそそこにある種の信任を獲得していたのです。無責任な立場から発せられるただの放言ではなく、当事者が述べる改革への強い意志の現れとして見ることができたから。
だからこそ、ああして橋下さんは地元大阪での圧倒的な影響力を獲得することに成功していた。大阪圏から一歩離れた場所から見ているだけではただのポピュリストにしか見えない橋下さんなんですが、しかし、地元ではそれなりに「改革に取り組む」有能な政治家であることはまぁそれなりに正しい認識でもあるのです。
この点が大阪とそれ以外で、橋下さんを見る『空気』が違いが生まれる最大の理由でしょう。


さて、実際に政治権力を握った上で次々と改革を取り組む姿勢をアピールする、というのは現代の政治家――特に大きな大衆支持の流行を作り出すという意味で「優秀な」政治家たちに共通して見られる手法であるんですよね。ブレアさん、サルコジさん、ベルルスコーニさん等々、あるいは私たち日本では小泉さんのやり方も近い所があるかもしれません。橋下さんも、意識しているのか無意識なのかは解りませんが、こうした政治家たちの系譜に連なる一人ではあるのでしょう。
――ここで重要なのは、その人気の源泉となるのが実際に「改革を成し遂げる」ことではないのです。
むしろ、彼らは自ら問題を設定し「私はその問題解決の為に邁進する!」と支持者たちにアピールし続ける態度こそが支持される要因なのです。次々と問題点を挙げ、自らがその論争の主導権を握ることで彼らは有権者の支持を獲得する。それは実際、ポピュリストとは微妙に違う存在であります。現実に権力がないから好き勝手なことを言うのではなくて、彼らはむしろ権力を握っているからこそ、自ら話題を選び、その後の振る舞いに政治的アピールを込めることが出来る。



しばしば「大衆迎合主義者」「大衆扇動家」という意味で使われる『ポピュリスト』とは微妙に違う『ポピュラリスト』という存在について。フランスのピエール・ミュソ先生*1は、そのポピュラリズムを次のように理論化しているそうです。

その大きな特徴は、世の中の課題を自ら設定しようとする態度だ。世論やメディア、官僚から問題を指摘されるのを待つのではなく、その問いかけ先取りして自ら騒ぎだしてニュースをつくる。市民に議論を呼びかけ、自ら論争をリードする。自らが常に議論の中心となり、自ら用意した回答に世論を誘導する。
つまり、社会全体を自らのペースで誘導する。
常に次のテーマを探し出し、、次のアイデアを打ち出し、次の改革に取り組む。この態度こそが政権を維持する活力を生み出す。*2

これを実現するためには、当然現実に権力を握っていなければならないわけで。だからこそ、このやり方で成功する政治家たちの多くは、権力を握った後にこそ、その人気の絶頂期を迎えることになる。


ポピュリストとは似て非なるポピュラリストという存在について。


橋下さんはそうやって大阪で振る舞ってきたからこそ、地元では圧倒的な権力を握ることに成功したのです。
――ところが国政レベルではまったくそれがない。それなのに原発慰安婦のような問題に口を出してしまったものだから、その反応はまったく違うものになってしまう。別に最終的な解決案があるかどうか、その是非がどうかは問題ではないのです。実際に、何も出来ないのにただ口を出しているだけじゃないか、と見られてしまう彼の政治的権力の背景がないからこそ、失敗した。
彼はただポピュリストではなく、むしろポピュラリストであったからこそ政治的に成功していた。ところが国政に打って出たせいで見事にただのポピュリストに堕してしまった。
おそらく、その点こそが、彼の失墜の原因ではないかなぁと思います。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:Pierre Musso — Wikipédia

*2:国末憲人『サルコジ マーケティングで政治を変えた大統領』P39