人類社会における永遠の対立構造

現状維持と現状打破をそれぞれ望む人々の戦い。


戦争の原因は「平和」だ : 地政学を英国で学んだ
まぁ頷くしかないお話でありますよね。

しかしこの「秩序」の考え方からわかるように、このような秩序というのは実は「誰かにとって有利な価値観によって構成されてる」秩序でありまして、現在の場合はそれが「アメリカに有利な秩序」ということになります。

これを大胆にいいかえれば、「秩序」、そしてそこから生まれる「平和」というのは、もともとその価値からして完全に中立なわけがないのです。

そしてこのような国際的な「秩序」や「平和」というものが完全に中立なものではないということがわかると、我々はここで恐ろしい事実に気づくことになります。

それは、戦争の原因は(価値的に中立ではない)「平和」にあるという冷酷な事実です。

これをさらに言えば、「平和」こそが戦争の原因になるということです。

冷静に考えてみましょう。戦争が起こる前というのは、そこには常にある一定の秩序が保たれている状態の「平和」が常にあったわけであり、その秩序による平和に我慢ならなくなった人々が、少なくとも自分たちにとって有利になる「新しい秩序」を求めて戦争をはじめてきた、いうのがほとんどの人類の戦争の歴史に残っているわけです。

戦争の原因は「平和」だ : 地政学を英国で学んだ

結局のところ、国家間のようなマクロの争いから、よりミクロな社会紛争まで、いつだって決定的で致命的な対立構造となるのはこの点にこそあるわけで。つまり、現状維持を望む人々と、現状打破を望む人々の争い。既得権益が維持されるという事はその内部の人間にとって平和が維持されるという事であり、しかしこの構図は逆に外部の人間にとっては永遠にその『不正義』が続く事を意味する。
――だからこそ、古今東西その不正義に不満を抱え怒った人々は立ち上がり戦ってきたのです。ここで重要なのは、上記リンク先でも述べられているように、それが善悪の問題ではないということなんですよね。そこにある基準はその『平和』の、内側に居るか、外側に居るか、という違いでしかない。



北岡伸一(集団自衛権見直しの主導者)の「軍国日本復活は杞憂」論が、悪魔的な対中挑発をしている件。 - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
上記サイトでは戦前日本と比較しての現在の中国の危険性を論じた読売の新聞記事を紹介されていますが、まぁ結論部分には概ね同意する所ではあります。ただ、個人的にはもっとそれ以上に、膨張主義といった表面的な振る舞いの点からではなくて、戦前日本と現代中国の危険性の類似点があると思うんですよね。
つまり、現状の国際秩序に不満を持っているか否か、という点で。現在の私たち日本にとってはこのアメリカによる平和が続く限りその利益を享受できる一方で、しかし中国にとってはそうではなく故に(潜在的に)危険である、と。
その意味で、かつての日本はどう見ても『現状打破主義』であったし、そして同様に現代の中国も同様に『現状打破主義』ではないのかと。そして当時の日本にも現在の中国にも、その意思と能力を共に備えていた。(かつての私たちと同様に)彼らは現在の秩序が自分たちに「不当に不利に出来ている」と考えている。そして、おそらく――かつて日本が不満を持っていた国際秩序がそうであったように――その不満はまったくの「言いがかり」というわけでもない。




私たち人間が永遠に生き永遠に繁栄を続ける事が出来ない以上、人類社会においてこの構図が永遠に続くのは必然の帰結なのです。時間の経過とともに、必ずその強力なプレイヤーによる平和は衰退し、やがて外部から蛮族たち――新興勢力がやってくる。だってその既存秩序の構造は、未来にやって来るであろう新しいプレイヤーたちのことを想定しているわけではないのだから。
そうやって新しくやって来るであろう彼らは『平和』を愛していないわけではないのです。ただ、現在の平和が公正ではなく既得権益者たちに不当に有利にできている欺瞞であると確信しているだけ。そしてその怒りは多くの場合で、正しい認識でもある。