現代中国が抱える政治問題=環境問題=再配分問題

環境か雇用か。


中国・ハルビンで深刻な大気汚染、PM2.5計測上限超え 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで寒くなってきて暖房需要がまた増えてきたのか、また中国さんちの大気汚染の問題が盛り上がっているそうで。
まぁ私たち日本も「かつて通った道」ではありますが、上記リンク先にあるような写真などを見ると、それでも桁が違っていてそのスケールの違いに笑うしかありません。さすが中国さんちであります。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39004
しかしだからといって、現在の中国さんちでそれが解決できるのかというと、やっぱりそんなことない。恥ずかしながら私たち日本も解決までに結構な時間を要したわけですが、おそらく、中国さんちではもっと難しい問題であるわけで。

 政府当局は北京の大気の状況を非常に懸念しており、この汚染を緩和するために、北京を取り囲む河北省の工業都市が石炭の使用量や鉄鋼・セメントの生産能力を削減することを望んでいる。

 だが、所得が低く、煙をもくもくと吐き出す製鋼所が貴重な雇用主になっている承徳などの都市では、そうした施策は雇用の削減に直結する。ほかに産業がない都市で雇用を維持するという課題のために、この施策は中国政府にとって非常に複雑で政治的に危険な問題となっている。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39004]

まぁこうした中国さんちにおける環境問題=政治問題の構造は、これまでも少し書いてきたお話ではあります。
約束された大気汚染 - maukitiの日記
中国はブラックボックスである - maukitiの日記
結局、中国さんちのこうした環境問題ってやっぱり政治問題に行き着くんですよね。



確かに訒小平さんが訴えた『先富論』はここまでを見る限り、それこそ第二位の経済大国になり多くの富裕層が生まれたことで、成功したと言っていい。しかし現状直面している問題はその次のステージにあるんですよ。
――ではその後に続く人たちは?
そもそも、豊かな人と貧しい人の対立構造、というのは中国の歴史そのものといっていい構図であります。特に中国という国家が決定的に苦汁をなめた19世紀以降の時代からはその構図は更に過激な形になり、貿易によって豊かな沿岸部、貧しいままの内陸農村部、という構図が現在まで続いているわけで。より海外からの投資を得ることで豊かになる沿岸部と、放置され続ける内陸農村部。この構造的な格差問題を解決する為に、もちろんかつてのように「鎖国する」というのも一つの選択肢ではあるでしょう、しかしだからといって国際貿易を拒否しては(軍事的な)大国であることなんてできるはずない。実際それは効率的なやり方でもあったのです。結局のところ軍事力の大きさで重要なのは、一人当たりのGDPなんかではなくて、経済規模そのものなのだから。
しかしだからといって貧しい人たちを放置すれば、これまでの中国の歴史そのものであるように、不満が大爆発しかねない。
この対立構造の解決こそが、中国という国家の指導者たちにとっては現代でも尚、対立の抑制と調整こそが内政における至上命題であるのです。だからこそ彼らは徹底的に暴力を使って弾圧するし、情報は可能な限り遮断する。



少なくともこれまでは上手くいっている、ではこれからは?
彼らは、果たして、豊かな人々と貧しい人々双方が納得する形での再配分が「ほんとうに」出来るのか?



こうした現代中国が抱える構図において、環境問題の解決が(たとえばかつて同じ道をたどった日本のそれよりもずっと)難しいのは、この貧富による内部対立の抑制という政治的理由から導かれる経済的要求と、環境保護政策がほとんど直接に相反するからなんですよね。故に上記リンク先で述べられているように、環境問題は再配分問題とほとんど直結することになる。
だって一般にそれを望むのは、先に豊かになった人々であるのだから。その声に答え、違法な工場や、あるいは貧しい人たちが暖房で使う石炭を規制をしたら、一体どうなるのか?

 「もしこの製鋼所がなかったら、外食する場所すらなかったでしょうね。この辺りでは、何もかもがこの工場を中心に回っている。うちの子供たちもここで働いているのよ」。この工場で働くために40年前に承徳に移り住んだリーさんはこう話す。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39004]

確かにそれは大気汚染はそこにいる人々全員を苦しめるモノであります。ただ同時に重要なのは、一般にそこで生活に余裕のある豊かな人であればあるほどそれを直近の問題として考えるという意味でもあるわけで。しかし一方の貧しい人たちにとってはそうではない。
それこそ明日のパンにも困る貧しい人たちが、そんなことを考えるというと、まぁそんなことありませんよね。むしろ合理的な判断であるとさえ言えます。「環境対策をするよりも、もっともっと工場をつくれ」まぁそれは確かに一理ある話ですよね。




中国の偉い人たちが、環境のことなんて無視して経済優先で突っ走ろうとするのにも、やっぱりそれなりに理由があるわけで。つまり、そこで一度足を止めてしまったら、バスに乗れなかった人たちの怒りは一体どこへ向かうのか?
「もっと乗せろ」と叫ぶ人たちと、そして「もう乗せるな」と叫ぶ人たちに、一体、どうやって応えればいいのか?
そのジレンマな構図の一つとして噴出しつつあるのが、大気汚染の問題であると。




まぁその影響を間接的に受ける私たちとしては、ほんとどうにかしてくれとしか言えませんが、しかしこうした彼らの内部事情を考えると、やっぱり一筋縄ではいかないのでしょうね。