古くて新しい「テロリストも場合によっては自由の戦士である」という議論の現在について

『9・11』以後で変化した論調。



「犯罪者という表現は遺憾」 菅官房長官発言に韓国反発:朝日新聞デジタル
ということで地味に盛り上がってる『安重根』さんのお話。まぁこの辺のセンシティブなお話はあんまり触るとそれはもうすげぇめんどくせぇことになってしまわれて恐縮いたしますのであんまり日記に書くのもアレなんですが、そんな本筋とはあまり関係ないお話について。

【今野忍、ソウル=貝瀬秋彦】菅義偉官房長官が19日の記者会見で朝鮮の独立運動家、安重根(アンジュングン)を「犯罪者」と発言し、韓国外交省の趙泰永報道官が同日の会見で「犯罪者という表現を使うことは大変遺憾だ」と批判した。

 菅氏は19日午前の会見で、中国・ハルビン駅で安重根伊藤博文を暗殺した現場を示す碑を設置する動きについて「我が国は安重根を犯罪者と韓国政府に伝えている。このような動きは日韓関係のためにはならない」と強い不快感を示した。これに対し、趙氏は同日の定例会見で「日本の帝国主義時代に伊藤博文がどんな人物だったのかを振り返れば、官房長官発言はありえない」と指摘。「安重根義士は我が国の独立と東洋の平和のために命を捧げた」と強調した。

「犯罪者という表現は遺憾」 菅官房長官発言に韓国反発:朝日新聞デジタル

まぁよくある構図と言ってはそんなものでありますよね。所変われば『正義』も変わる。菅さんとしては、まず韓国が国外である「中国での」こうした動きに対して、「日本政府」としてはこうコメントする以外にはないよなぁとは個人的には思います。どちらも国内問題であればお互いに無視しておけば良かったのでしょう。ところがそれを中国を巻き込む形での国際問題にしてしまってはこうしてどちらも原則論を振りかざす以外になくなってしまうので、あまり賛成できるやり方ではありませんよね、ということで一つ。




さて置き、この議論はしばしば植民地からの独立運動時代でなされてきた伝統的議論であると同時に、しかし21世紀ではまた別の角度から限りなく現在進行形でもあるんですよね。むしろ、ここ10年の間に新しく復活したといっていいほどであります。
――つまり、あのビンラディンさんの登場によって。
「彼は英雄なのか? それともテロリストなのか?」
あの『9・11』という事件は、この伝統的議論を一気に国際問題の中心議題の一つに押し上げたわけであります。まさに世界中を巻き込むレベルで。そもそも、タイトルにあるような「テロリストも場合によっては自由の戦士である」という相対主義的な議論は、それ以前までは実は結構主流にあったんですよね。植民地独立運動という視点から見て、そのような考え方をするのはごくごく当たり前のことだった。
しかし、あの事件以後、そんな考え方は事実上影響力を失っているんですよね。かつてあったような説得力はもうなくなってしまっている。
『9・11』以後、アメリカはもうそんなヌルい立場をかなぐり捨てて「テロリストは殲滅する、見敵必殺、サーチアンドデストロイだ!」というポジションを採るようになった。それを証明しているのがブッシュさんのあの「テロリストも、それを匿う国も等しく容赦しない」という演説であるし、その後任であるオバマさんの「テロリストに人権はないので無人機で爆殺する」という行動を見れば、それが現在でも続いているのは明らかですよね。
『自爆テロ攻撃』の生まれ故郷 - maukitiの日記
昨日の日記でも少し書いたようにテロ活動――まぁ独立運動でもいいんですけど――にとって重要なのはそれはもう身も蓋もなく『活動資金』なわけで。故に彼らは様々なグローバルな迂回路を通じて(そこにはしばしば慈善団体もあったりした)テロの為の、あるいは独立運動の為の資金を確保してきた。そうした資金の国際的な流れは『9・11』以前までは、それはもう何の監視もないダダ漏れ状態だった。存在自体は知っていても、しかしそれに対して何か手を打とうとする動きは、もちろん一部の現場主義な人たちからは要望はあったものの、実際の国際的な協力体制は望まれてはいたものの、しかし遅々として進まなかった。
かくしてアメリカは、あの事件の後にそのテロ資金を封鎖することに全力を注いだのです。ブッシュさん時代の功績の一つにそんな「テロリストの資産凍結」があったりするわけで。国際社会を巻き込んだ形の実効的な「テロ資金凍結ネットワーク」という枠組みを、彼は概ね完成させた。この辺りのお話についてはテイラールールで有名なジョン・B・テイラー先生の『テロマネーを封鎖せよ』に詳しいです。


そして、そんなアメリカのやり方に――その是非はさて置くとして――私たちは否応なく付き合っている現状にあるんですよね。私たち日本を含め、そうしたアメリカのテロ資金封鎖ネットワークの一翼を「ごくごく当たり前の義務として」それに協力し、成果をあげている。昨日の日記で書いたように、そんなテロ資金凍結は『解放のトラ』のような勢力にまで間接的に影響を与えているのです。
テロリストは自由の戦士なんかじゃない犯罪者だ、という風に振る舞うようになった私たち。だってしょうがないよね、アメリカがそう言ったんだもん。
21世紀たる現代世界における考え方ってこういうモノが正義である――とは言いませんけど、しかし支配的であるんですよね。もちろんこれには不合理な面も沢山あるでしょう。まさにアメリカのこうした考え方が、ロシアや中国などの少数民族の弾圧を事実上正当化しているわけだし、挙句にはシリアのアサドさんでさえこの論理を援用している。
その意味で、多分に余計なお世話ではありますが、先日も中国で少数民族出身者によるテロ事件が騒がれたりしましたけども、ぶっちゃけ韓国さんちのこの行動にホイホイ乗っちゃって中国さんち大丈夫なのかなぁと他人事ながらに心配してしまいます。「犯罪者ではなく自由の戦士であった」なんて、ウイグルやらチベットで似たような牌ができたらどうするのかと。



かつてあった相対主義的な世界観である「テロリストも場合によっては自由の戦士である」から、実際のシステムが示唆する「テロリスは犯罪者である」という世界観へ。私たちはそれに同意するか否かは別として、しかし現実に協力し、それなりに成果をあげているのです。
――ちなみに「だから韓国は間違っている」とか「だから日本は正しいのだ」とか言いたいわけではまったくないので、その辺のことについてはほんと勘弁してください。いやまじで。
もちろんそれに賛同する人も反発する人もいらっしゃるでしょうけども、しかし、少なくとも『9・11』以降現実政治を動かす支配的なトレンドとしてはやっぱり変化したことは念頭に置いておかなければいけないのではないでしょうか、という辺りで一つよろしくおねがいします。




みなさんはいかがお考えでしょうか?