イスラム世界のパンドラの箱が開くとき

『希望』やら『期待』が最後に残るせいで。




最近の中東世界についての、あくまで素人による個人的な概観。
オバマ大統領:議会に「新たなイラン追加制裁 必要ない」− 毎日jp(毎日新聞)
イラン、核活動の拡大を凍結 IAEA報告書 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
最近あちらでは大きなニュースとなっている、イランが「かなり」核問題や対米政策を融和的な態度に変化させはじめているというお話。まぁその真意について様々な議論がなされているわけです。指導者が変わったから、制裁が効果をあげているから、いやただの時間稼ぎだ、等々。もちろん素人の思いつきに近い個人的な雑感でしかありませんけども、しかしまぁ現在の中東世界の状況ではイランが対米政策をより融和的な方向へシフトさせるのは、ある意味で当然の帰結でもあると思うんですよね。
つまり、元々イランの悲願としては、アラブとは違うペルシャの末裔たる自国を――引いてはシーア派の主導的国家であるイランを、イスラム世界における支配的な国家とすることであるわけで。


まぁ別にその思惑はイランに限った話ではなく、イランの宿敵たるサウジだって似たような考え方をしているわけですけども、そんな彼らの宗教的情熱と国家主義的情熱の悪魔合体のような情熱(同時に相手側もそう考えるのではないかという不安)は、どちらにしてもここ10年近くは世界的な『状況』によってほぼ封じ込められてきたわけであります。つまり、20世紀以前は欧米の植民地政策によって、第二次大戦以降は冷戦構造によって、そして冷戦後は中東における圧倒的なアメリカ軍の存在によって。
こうしたことを考えるイランにとって、アメリカという国はずっと目の上のたんこぶだったわけであります。それこそイイ戦争の停戦合意の際には――もちろん多分に建前ではあったわけですけど――「アメリカがイラク側に介入した以上、両国を相手に戦うのは不利だからこの辺で勘弁してやる」という理由で停戦を宣言したように。
ところが1990年の湾岸戦争以降、アメリカ軍はサウジアラビアバーレーンなどで、一時的な保護のはずが半ば恒久的に中東に居座るようになってしまった。まぁこの辺の湾岸戦争の目論見違いがあったりするんですけども今回は割愛。ともあれ、もちろんそれを受け入れたスンニ派諸国の国内でも「異教徒の軍隊が自国に居座ること」について特に過激派からの不満を抱える羽目になったわけですけども、しかし、イランにとっても基本的にはスンニ派諸国側に付いた圧倒的なアメリカ軍は心底邪魔な存在であり、米軍を中東から追い出すことこそが当時の悲願でありました。だからこそ彼らは90年代以降そんなアメリカ軍を中東から追い出すために、革命防衛隊やヒズボラを使って、テロ攻撃やスンニ派政府転覆を狙って非正規に攻撃を仕掛け続けてきたのです。そしてそんな風にアメリカに敵対するものだから、アメリカからの敵意を一心に集め、結果的に自国の安全保障のために核兵器をもより強く望むようになった*1。しかしそんなイランの思惑とは裏腹に、『カーター・ドクトリン』に代表されるように、アメリカにとっては中東地域に覇権国家を誕生させないことこそが国家安全保障戦略の大原則の一つであった以上、アメリカは中東に軍事的プレゼンスを断固たる態度で維持し続けてきたわけです。
かくして現状を打破できないと察した90年代の後半からサウジアラビアとイランは『アメリカ軍』を間に挟むことで、両者の間に一種の均衡状態が生まれるのです。サウジは国内のアメリカ軍基地をイラン攻撃に利用させない、イランはサウジ側にテロ攻撃を控える。


――では、アメリカ軍が居なくなったら、この均衡状態は一体どうなるのか?


中東世界に潜在的にある1300年近く続いてきた対立構造を、そこに文字通り「存在する」ことで抑止してきたアメリカ。ところがイラク戦争の帰結などによって、現在、アメリカはまぁ見事に撤退を始めている。
こうした構図を考えればイランが対米政策を転換させ、核兵器についても譲歩し始めるのも、ある種当然のお話だと思うんですよね。わざわざ自分が手を出さなくても邪魔だったアメリカが勝手に帰ろうとしているんだから。敢えて敵対する必要もない。むしろ融和的に振る舞うことこそがアメリカ撤退の後押しをすることになる。
北風から太陽へ。
そして開くパンドラの箱
ここ100年以上『植民地』『冷戦』『アメリカの圧倒的な軍事プレゼンス』によって封じ込められていたイスラム世界にある宗教戦争。もちろんどちらの彼らだって戦争そのものを本気で望んでいるわけではないでしょう。しかし、それでも、アメリカ軍が居なくなることで、彼らの間に不安感と、そして本来あった最後の希望が顔を見せつつある。


ベイルートのイラン大使館外で爆弾が爆発、少なくとも22人死亡 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
先日もあちらに基本的に関心の薄い私たち日本ですら結構大きなニュースとなった、レバノンのイラン大使館前で大爆発があったそうで。まぁなんというか、少し前なら爆破目標になるのは大抵アメリカ大使館だった歴史を振り返ると、なんだか時代は変わったなぁと思わずにはいられませんよね。現状のシリアやイラクで既に日常となった風景。最早イスラムの過激派が、アフガニスタンを皮切りにスーダンやフィリピンやチェチェンボスニアなどで、ジハードの名の下に戦ってきた『アラブ人聖戦士=ムジャヒディン』たちが、そしてイランが長い年月を掛けてアラブ各国に築き上げたヒズボラのネットワークが狙うのは、欧米文明ではなく相手『宗派』である。
――イラクとシリアを中心にしてより鮮明になってきた、スンニ派シーア派という21世紀の宗教戦争
米国国民が攻撃されるよりも、派遣した米軍兵士が狙われるよりも、イスラム国家の内部で互いを殺し合わせる方がずっとマシだ - maukitiの日記
皮肉なお話ではありますが、今後ますます進行していくであろう「中東におけるアメリカの存在感の低下」が進めば進むほど、おそらく彼らはお互いを主敵とする対立構造を深めていくのでしょう。サウジアラビアがその対宗派戦争の最前線と考えていたシリアでもアメリカは動くことはなかった。特にサウジやバーレーンなどのスンニ派諸国で独裁体制を維持する王朝は、イランから「イスラムに王は居ない」と嘲笑される始末で。潜在的に国内シーア派の不満をずっと抱えている中にあって、そこへあの『アラブの春』の流れであります。
アメリカ軍の撤退と、そしてアラブの春。1300年来続く対立が再びよみがえりつつある状況。こうして見ると、やはり宗教戦争の流れはもう不可避であるのかなぁと。
果たしてイスラム世界の勝者は一体だれに?
ヨーロッパ世界が30年近い宗教戦争の果てにたどり着いた教訓。お互いに相手国の宗派対立を利用することを抑制することを目指したウェストファリア。イスラム世界もその教訓を学ぶことになる前段階の戦争状況に、ついに、足を踏み入れつつあるように見えます。悲観主義あるいは冷笑主義的かもしれませんが、おそらく更に多くの『血』が流れなければ彼らはヨーロッパのそれと同じく合意できないのだろうなぁと考えてしまいます。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ここに更にイスラエル関係がはいってくるんですけども、やっぱりとりあえずここでは割愛