『例外』扱いで得をするのは一体誰?

いつもの日本の一国平和主義な風景。




南スーダンの死者は「数千人」、国連が見解 集団墓地も発見 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
南スーダンの状況と日本の弾薬供与の理由 - Togetter
ということで先日の日記でも少し書いたスーダンさんちの混乱は、まぁものすごいことになっているそうで。見事な『前夜』と称されてしまいそうな風景。
PKOで初の武器提供、韓国軍に 「三原則例外」と銃弾1万発 - 47NEWS(よんななニュース)
「銃弾不足していない」と韓国、批判に配慮か 「予備量確保で借りただけ」 - MSN産経ニュース
Chosun Online | 朝鮮日報
で、そんな緊迫した中で怒ればいいのか笑えばいいのかよく解らないネタを提供してくれている日韓両国であります。

 韓国政府は、日本政府がこの問題を政治的に利用しているとみて、日本に対し「警告」のメッセージを伝えたという。韓国政府のある幹部は「国連南スーダン派遣団(UNMISS)を通じ、迂回(うかい)的に実弾の支援を受けただけにもかかわらず、日本側が軍事的な役割の拡大に結び付けている。外交ルートを通じ、強い遺憾の意を伝えた」と語った。

Chosun Online | 朝鮮日報

うわぁ愉快なお話。でもまぁ日本で『秘密』にしておくのはかなり無理のあるお話ではありますよね。特に最近では例の法案騒動があったばかりだし。一方で韓国さんちとしては、やっぱりその見通しの甘さと仇敵である日本に借りをつくったなんてとても(おおっぴらには)言えるわけないので、かくして、そんな両者の思惑によりこうした愉快な風景が誕生することになる。
いやぁ笑えばいいやら悲しめばいいやら怒ればいいのやら。
ただそれでも、今回の件は日韓の関係に一つの光明を見出すことはできるんですよね。昔から言われているように、国家間の同盟関係というのは別に平時の友好関係だけがそれを決めるわけではなくて、結局のところ緊急時に「必要」か否かこそが究極的にそれを決めるのだから。


まぁ個人的にはやっぱり弾薬支援が真に必要とされているならば――逆説的なお話ではありますが韓国軍がそれを事実上日本に支援することになる可能性が高いということは当然知っていたはずでそれでも尚彼らは要請した、つまりその支援要請そのものが緊急性と必要性が高い以上やるべきだと思っているので、賛成するところではあるんですよね。
瓢箪から駒じゃありませんけど、ぶっちゃけここで韓国軍を「見捨てる」ことなんて絶対にできない以上、そもそも安倍さんとしては解っていても支援する以外になかったわけで。ところがどっこいそのギリギリのやり方は将来の緩和への布石となってしまいそうな構図。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013122502000154.html
それでも、今回の件は手続き上結構ギリギリなので、今後の議論しなければならない課題として認識しなければいけないのはその通りなのでしょう。
しかしそれを今の情勢でやったら、おそらく、武器輸出三原則が――今回のような「例外」扱いでなく――緩和されてしまうのは間違いないだろうと思われるので、ぶっちゃけ東京新聞さんなんかはそんなことを招いてしまっていいのかなぁと他人事ながら心配になってしまいます。むしろこうした人たちは安倍政権にそんなことやって欲しくないと考えているはずなんじゃないかなぁと。







ともあれ、まぁ今回の件にしても、韓国軍に弾薬支援することもすべきでないし、あるいはさっさと自衛隊は撤退するべきだという人たちの理屈もわからなくはないんですよね。自分たちさえ良ければそれでいい、というある種の開き直りではありますけども、だってアフリカで何人死のうが基本的には日本に影響ないだろうというのは概ね間違っていないのです。
日本人は関わるべきではないけれども、他国の人間ならばそうなってもいい、と堂々と言ってのける人びと。
にほんのへいわしゅぎはすばらしいなぁ - maukitiの日記
そんな素晴らしき日本の一国平和主義については以前書いたので引用だけして以下略。

その意味で(一部)近隣諸国の感情なんて知ったことではないと言う人たちも、こうして中東やアフリカで平和と安寧が失われ何人死のうが関心を持たない人たちも、立ち位置としてはあまり違いがないと思うんですよね。結局の所、右にしても左にしても、どちらにしても彼らは自分たちさえ平和と安寧を享受できればいいと確信している。

だって遠く離れたシリアで何万人死のうとも、日本の平和主義には何の影響もないから。シリアの平和は日本の平和とは無関係であるから。

――自分の国さえ良ければそれでいいから。

でも、そうした自国中心主義はぶっちゃけナショナリズムの一形態としては結構ありがちな光景ですので、別に日本のこうした態度が世界的に見て殊更にユニークなわけではないでしょう。でもまぁそれを『平和主義』と称しちゃうのはそこそこ新しいかもしれませんよね。そうやって私たちは68年に渡る平和と安寧を手に入れた。それを推進すること自体は別に構わないんですが、しかしそんな日本流の平和主義は素晴らしいとあけすけに世界に広めようとするのは、まぁあんまり自慢できるようなことでもないような気はするのでそう意気込む人たちを見るとちょっと恥ずかしくなってしまいますけど。

にほんのへいわしゅぎはすばらしいなぁ - maukitiの日記

まぁ確かにそれは一つの選択肢ではありますよね。