メディアコントロールこそが中国共産党の生命線

中華人民共和国を領導する政党」にとっての義務。




中国さんちのメディアコントロールを欧米ジョークっぽく風刺するとこんな感じじゃないかと。

「良いニュースと、悪いニュース、どちらから聞きたい?」
「じゃあ良いニュースから」
「悪いニュースがないことなんだ」
「へぇ? じゃあ悪いニュースってのは一体なんなんだ?」
「実は君に悪いニュースは伝えてはいけないことになっているんだ」

だいたいそんな感じー。





なぜ中国社会はすぐパニックに陥るのか 国民を信用せず情報をひた隠しにする政府(1/3) | JBpress(日本ビジネスプレス)
について書いた一昨日の日記言論の自由も政治的自由もない彼らの、たったひとつのさえたやり方 - maukitiの日記の続きというか、むしろ本題的なお話。

 日本のような先進国では国民の知る権利が保障されているが、実は中国の憲法でも保障されている。中国社会をパニックから救うためには、まず、政府および官制メディアが国民に真実を伝えるようにしなければならない。

 政府は、悪いニュースを流すと社会がパニックに陥るのではないかと恐れている。国民には悪いニュースに耐える力が不足していると考えているためだ。しかし、社会不安を最も助長してしまうのは、真実を隠すことである。悪いニュースを隠せば隠すほど、政府にとっては不都合な状況が生まれてくることを理解すべきだろう。

なぜ中国社会はすぐパニックに陥るのか 国民を信用せず情報をひた隠しにする政府(1/3) | JBpress(日本ビジネスプレス)

と、結論部分では仰られているわけですけども、しかし正直ものすごく無意味な提言ではありますよね。いやまぁそう言うしかないのは解りますけど。じゃあ彼らの独裁・専制そのものである政府にとって、本当に悪いニュースを流すのをやめれば「不都合な状況」がやってこないのかというと、そんなこともないと思うんですよ。
――むしろそんな彼らの独裁体制を維持するためにこそ、重要なのはバッドニュースを封印している機能そのものなのだから。





全体主義研究の第一人者といっていいハンナ・アーレント先生は『全体主義の起源』において、全体主義者における権力者ではない大多数の一般市民たち=被抑圧者たちを次のように定義しているわけです。

全体主義的統治の理想的な被統治者は筋金入りのナチでも筋金入りの共産主義者でもなく、事実と仮構の区別をも、真と偽の区別をも、もはや見失ってしまった人々なのだ。

そもそも、現代中国さんちのメディアコントロールというのは、80年代以前にあった旧来のような古臭い情報統制=イデオロギーによる洗脳という手段をしているいわけではないんですよね。彼らは経済の改革開放以来、その情報統制も同じく洗練させている。それでもやっぱり根幹にあるのは、今も昔も愚民政策こそが、現代中国のメディア統制の根幹にあるわけで。
「中国には言論の自由はある、しかし宣伝規律もある」なんて。
事実であろうとなかろうと、中国国民の不満を誘引してしまった『報道』は有罪である、という中国マスコミを決定的に支配する黄金律。かくして彼らの大多数は中国政府の意に添うように、自発的に規制するのです。情報を人びとに与えないことで、判断基準そのものを曖昧にする。不都合な判断基準は(欧米)帝国的価値観として徹底的に排除する。
これまでうちの日記でもしばしば書いてきましたけど、彼ら中国政府の中の人たちにとってメディア統制というのは単純に民主化運動や反政府運動を抑制するためだけのものじゃ決してない。むしろその根幹にあるのは、より現代世界において洗練された愚民政策こそがあるわけで。つまり、徹底的に国内で流通する情報を操ることで、そもそもの人民の判断基準そのものを操ることこそが彼らの支配の源泉であるのです。多くの中国国民のみなさんだって国内の報道にウソがあることくらいそもそも気づいているんですよ。しかしその一歩先には、では何が正しいのか、そもそも「何をもって正しい」のか、という領域のコントロールにまで政府政府は踏み込んでいる。


現代中国さんちの情報統制及び愚民政策が、この現代世界の情報が溢れるネット社会において、悪魔的に良くできているのはこうした理由があるからなんですよね。彼らは単純に情報を操作し弾圧するだけでなく、それを通じてそもそもの判断基準そのものを攪乱する。まぁ古今東西専制国家で当たり前にある光景といって身も蓋もありませんけど、しかしこの21世紀に、人口10億を越える国家がそれを曲がりなりにも実現しているのは、正直よくやっているよなぁと不謹慎ながらも感心してしまうところではあります。
中国国民には民主主義はまだ早いから国家がそれを管理しているのだ、というのはしばしば耳にする彼ら中国共産党支配のタテマエではありますけども、まぁ語るに落ちていて苦笑いするしかありませんよね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?