わかっちゃいるけどやめられない

相変わらずミュンヘンの亡霊に取りつかれる私たち。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39616
へー『サラエボ』という教訓ですって。まぁ言いたいことは解らなくはありませんよね。「あのあまりにも燦然と輝く融和政策の失敗の象徴たる『ミュンヘン』に我々は囚われすぎているのではないか」なんて。
いつまでたってもミュンヘンの悪夢が忘れられない - maukitiの日記
まぁミュンヘン会談のお話については以前の日記で概ね書ききったのでそちらを。

 ミュンヘン的なものの考え方はあまりに深く染み付いているため、これを変えるには本格的な思考の転換が必要だ。今年行われる数々の第1次世界大戦記念式典は、他国との対立関係に取り組む際に危険なまでにマッチョな態度を取らないよう世界の指導者たちに影響を与えることで、その目的を果たせるかもしれない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39616

いやまぁ確かにその通りなんですけども、ただ、そうした批判自体がもう長年使い古されてきた――ということはこれまでも何度も退けられてきた言説という意味でもあるわけで。逆説的に、リンク先でも述べられているようにあれだけそんなミュンヘンの尻尾たちが何度も登場しても尚、それでも生き残っている。やめた方がいいってわかっちゃいるんですよ、しかしそれでも、現代の国際関係においてやめられない。
身も蓋もなく、それ以外に答えが見つからないだけ。


ついでに言うと「世界の指導者たち」だけに影響を与えるだけでいいのかというと、やっぱりそんなことありませんよね。ていうか個人的にはそもそも一次にしろ二次にしろ単純に指導者たちの暴走や無能というだけでなく、政治的激情に駆られた一般の人びとからの突き上げ、という面は少なからずあったはずで。

「1914年当時の重要人物の中には、戦争に踏み切れという圧力の前に立ちはだかる勇気を持った、偉大で想像力に富んだ指導者が1人もいなかった」と嘆いている。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39616

その意味で、おそらく現代世界でも「より」重要なのは、そうした圧力を掛ける恐れのある私たちの方ではないかなぁとも思うんですよね。それこそ両大戦で痛い目にあった国のほとんどでそうした経験があると言っていい。心底無邪気「に敵をやっつけろ」と政治家に圧力を掛ける、無辜の人びと。
現在の日本で言えば、靖国参拝問題の日記でも少し書いたように、ぶっちゃけそれを強行した安倍さん自身の意志なんか二次的な問題でしかなく、だからそれを「支持する人々」の方がずっと大きな問題になるんじゃないかと個人的には思っています。もちろんカリスマのような素質を持つ政治家による扇動でそうなる場合だってあるでしょうけども、しかしそれってやっぱり限りなく稀少例なわけで。
むしろ多くの場合であるのは、機に聡い政治家がそうした世論に「迎合」することの方がずっと多い。そしてその迎合によって更にまた後に引けなくなっていく。だからこそそんな世論を形成し誘導しかねないマスコミの動向こそが重要だとも思うんですけども、まぁご覧の有様であります。



世界が平和でありますように。