「一つのヨーロッパ共同体」と「一つのヨーロッパ市民」の二者択一

一つのヨーロッパを目指す為に、一つのヨーロッパ市民を諦めなければならないジレンマ。むりそう。




http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39673
ということで今も尚「準緊急事態」と言っていいヨーロッパさんちの苦労であります。で、これまでの日記でも書いてきましたけど、そんな素晴らしき欧州プロジェクトの輝かしき象徴でもある『往来の自由』と『基本的権利』の間にあるジレンマについての、面白いお話。

 しかし、この小さな論争の裏に潜んでいるのは、もっと根本的な議論だ。英国、ドイツ、フランスのような国々の1人当たり国内総生産GDP)が、ポーランドルーマニアのような国々の3〜4倍にも上る時に、人口5億人を擁する欧州連合EU)域内の人の往来の自由をどう扱うべきかという議論である。

 EU域内の移住者は、単に働く権利だけでなく、失業手当や住宅手当、児童手当を含む福祉を受ける権利も持つために、この問題は一段と複雑になっている。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39673

故に彼らは、その「妥協」をすることができない。リンク先でも指摘されているように、おそらくこうした懸念は欧州連合の歴史を通じてずっと言われていて、しかしそれでも、そんなことを考えること自体、政治的に正しいことではない、と見て見ぬ振りを続けてきた雰囲気もあったのでしょう。まぁいつもの光景と言ってしまってはそれまでではありますけど、しかしもしそこで妥協したら、というのは拭い難い不安感でもあるのでしょうね。まさにそれは基本的人権への瑕疵という所にまで至りかねない以上、そこで妥協するなんてとんでもない。


これまで見て見ぬフリをしながら政治的正しさを追求してきた彼らが、ついにその矛盾と向き合わねばならない時。政治的正しさを押し通す為に、敢えて(欧州連合懐疑派との)最終決戦に臨むか否かの瀬戸際。
――果たして、一つのヨーロッパを実現するために、一つのヨーロッパ市民を手放すなんてことができるのか?



個人的に、こうした彼らの愉快な「政治的正しさ」に悩む風景を見るとどうしても思い出すのが、『アラブの春』での民主主義をアラブ世界に押しつけようとして見事に失望している欧米リベラルな人たちの有様でもあります。
あまりにも無邪気に「民主主義はすばらしい!」と持ち上げ過ぎた果てにあったもの - maukitiの日記
ほんとうに『政教分離』を絶対の真理として確信する彼らは、無邪気にそれをイスラムな人たちに押しつけようとしては、こうして絶望する。アメリカがイラクアフガニスタンで犯した失敗をこうしてまた繰り返す人びと。かくしてあの『アラブの春』でも起きたような構図は、この「欧州連合」という自身に向ける際にも、やっぱり同じように繰り返される。理想に燃えた彼らは政治的正しさに猛進する。他者であろうが自分自身であろうが、その行動は一貫していると言えば言えるので、誠実であるとは言えるのかもしれませんね。現実的だとはとても言えませんけど。
まぁそれがある種の推進エネルギーとなっていることも否定できないんでしょうけども、しかしそれでもそんな正義が必ずしも現実に適合するかというと、やっぱりそんなことありませんよね。
それこそが彼らの本質的な善き性質でもあると同時に悪癖でもあるのでしょうね。めんどくさい正義バカな人たち。


一つのヨーロッパを実現するためには、完全に平等な一つのヨーロッパ市民を目指さねばならない。しかしそれは現在の欧州にあるように、確実に無駄な敵を増やしている現状。彼らのそんな政治的正しさの執着について。
まぁやっぱり難儀な人たちですよね。