政治家の行為について、一般国民はどこまで責任をもつべきか?

国民主権だとか今尚よく解りません。



韓国議員、安倍首相の靖国参拝「日本国民が責任を取るべき」 - ライブドアニュース
へー「日本国民が責任を取るべし」ですって。靖国参拝の是非はともかくとして、しかしその前提にある『戦争責任』云々のことを念頭におくと色々と考えさせられてしまう発言ではありますよね。

  番組では、靖国参拝安倍内閣の問題であり日本全体の情緒とは異なるとの指摘がなされると、姜議員は安倍首相率いる自民党が選挙で圧勝したことを指摘。「安倍政権に絶対的な支持を見せた日本国民が責任を取る必要がある」と論じた。

韓国議員、安倍首相の靖国参拝「日本国民が責任を取るべき」 - ライブドアニュース

まぁそれに頷くわけにはいきませんけども、その論理が100%まったく理解できないものかというとやっぱりそうではありませんよね。もちろん実際に自民党に投票した割合で言えば全体の五割にもいかないし、そもそもそれが政治争点として投票が行われたわけでもない。しかし、それでも、私たち日本でも「それを選んだ有権者の責任でもある」というのはしばしば、批判的な意味合いで用いられるわけで。
古くて新しい政治学上の議論。国民主権について。まぁ僕のような素人にはさっぱり理解できないお話ではあるんですけど。




ちなみに現代世界において、こうした議論をもっとも極端な形で援用したのが、あのアルカイダビンラディンさんだったわけですよね。彼はその論理を以て、民間人を巻き込んだ『9・11』を正当化した。

人民が指導者を選び、それによって指導者の行為を是認し責任を共有することは、民主主義の根本原則である。「自由の国」である以上、アメリカ国民が自分らの指導者を選ぶことは「自由」である。彼らはそのような権利を有するのであり、それによって自分たちの選んだ政府がおこなう政策に同意したものとみなされる。この中には、何十億ドルにものぼる軍事援助などの形でイスラエルを支援する政策も含まれている。自国の指導者を選ぶ行為を通じてアメリカ国民はパレスチナ民族を幽閉する行為に同意し、パレスチナ民族の住宅を破壊しイラクの子供らを殺戮する行為に同意したことになる。アメリカ国民は政府の政策を拒絶する手段と自由を有しているにもかかわらず、何度投票をくりかえしても、政府の政策を支持しているという結果をだす……
(中略)
したがって、アメリカ国民に罪がないとは言えない。アメリカ国民は、これらすべての犯罪に積極的に関わっているのである。*1

「そうした政治家を拒否する手段と自由を有しているにもかかわらず投票で繰り返されるということは、自国の指導者を選ぶ行為を通じて日本国民は靖国神社参拝という行為に積極的に同意したことになる」なんて。


民主主義政治における、それを選んだ国民の責任について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:マイケル・ショワー『帝国の傲慢』下 P61