敵は居なくなった、そして

文明の衝突』への準決勝戦



まるでいつかの『三十年戦争』みたいなシリアの現在 - maukitiの日記
前回日記の補足的なお話――というよりはむしろ最初にネタとして浮かんだのこっちだったり。

話は微妙にズレますけども、こんな不毛なシリアで心底皮肉だよなぁと思うのはスンニ派にしろシーア派にしろ彼らの戦力――所謂イスラム聖戦士たちが、そもそもアメリカやソ連イスラエルと戦う為にその刃を研ぎ続けてきたという歴史があるわけで。そうやって彼らは侵略者への抵抗の為にこそ、そのスキルを徐々に高めてきたはずなのに。

まるでいつかの『三十年戦争』みたいなシリアの現在 - maukitiの日記

スンニ派アルカイダ系にしろシーア派ヒズボラにしろ西側から「イスラム原理主義組織」や「イスラム武装勢力」とされる彼らは、その信仰心に支えられたしぶとく強靱な武装兵士=ムジャヒディン=聖戦士を育成することで、イスラエルアメリカやソ連などの先進諸国に軍事的に痛い目を見せてきたわけですよね。反ソや反米や反イスラエル、あるいはイスラムを軽視する堕落した自国政権などと、所謂『防衛的ジハード』の名の下に戦い続けてきた人々。その長年の闘争経験の積み重ね――それこそその中にはアメリカによる物的だけでなくゲリラ戦術の教導という援助もあったりした――によって、彼らは現代世界における優秀なゲリラ戦士として成長してきたたわけで。
ところが、そんな風に「侵略者」と戦ってきた彼らが、ヨーロッパの帝国たちが去り、ソ連が去り、そしていよいよアメリカの去るタイミングが近づきつつあるということで、およそ200年ぶりに力の真空地帯を目の当たりにした結果が現在のシリアだっていう皮肉なお話。


一般に過激派のニュースといえば欧米諸国やあるいは私たち日本などの外部の人間からすると、その多くがテロリスト攻撃である故に誤解しやすいお話ではあるんですが、しかし実はテロリズムって彼らの行為の本命じゃないんですよね。
むしろそんな限定された「尖った」戦力ではなくて、より広範囲で草の根の広がりを持つ民兵の育成こそが彼らの最大の関心事であるわけで。そうやってごく正攻法で軍事的な戦力を増強していくからこそ、侵略者たちを自分たちの土地から追い出すことが出来ると考えているのです。それこそ最近のアメリカが痛い目にあったアフガニスタンイラク、その原点にある旧ソ連アフガニスタン戦争、あるいはレバノン侵攻の際のイスラエルなどなど。上述したように彼らの脅威の類型としては、しばしば、テロリストのそれが大きく語られているわけですが、しかし、同時にまたそれ以上に大きく決定的な戦果をあげてきたのが、そんな彼らのゲリラ戦士の育成能力であったわけで。
北アフリカや中東にある訓練キャンプから送り出されるのは、ただ少数の危険なテロリストたちというだけでなく、むしろ大多数はそんな普通の――というと語弊があるかもしれませんけど――武器の扱いに習熟した一般人=民兵たちであったわけです。そうやって草の根的に活動し、社会内部に広く武装兵士を育てることで「いざ」という時にそうした聖戦士たちは、世界中から続々と戦場に集まってくるし、自らの土地にやってくる侵略者を追い返すことができるだろうと。




ちなみにスンニ派ビンラディンさんによる『アルカイダ』という組織の革新性はこうした点を世界規模で実現したことにあるわけですよね。彼は各国それぞれの土地でバラバラに戦っていた状態を、横の繋がりをもたせることでネットワークを生み出した。かくしてそんな連帯によってアルカイダ「系」とされる数多くの武装勢力が生まれることになったのです。まぁ皮肉なことにそんな諸勢力の乱立状態と統一性のない独自な行動こそが、現状のシリアの反体制派内部の分裂状態――引いてはスンニ派諸国の足並みの乱れに繋がっているのは、やっぱり皮肉なお話ではありますけど。
もちろんそれは個々に活動するからこそ一網打尽にはされ難いというメリットもあるんですが、しかしこうしてなかなか一枚岩として行動できないというスンニ派に伝統的振る舞いであるデメリットもあったりする。
一方でシーア派武装勢力といえば有名なヒズボラさんでありますが、シーア派たる彼らは逆に確固とした――それこそキリスト教カトリックにあるような宗教指導者による公式なヒエラルキーが形成されていて、ヒズボラもそうした権力機構に組み込まれているが故に、彼らはシリアで足並みを揃えて戦い続けることが可能となっている。だからこそ以前のレバノンなんかでも見られたように、闘争が終わると今度は(戦力は維持しつつも)国政選挙や経済活動や社会福祉活動に従事したりもする。この辺はほんとにもうバラバラで千差万別なスンニ派系の武装勢力と比較して面白い相違点だよなぁと。
――だからこそ昨日の日記でもイラン排除とかマジ意味ナイヨネーという日記を書いたわけですけども。






ともあれ、スンニ派系にしろシーア派系にしろ、彼ら武装組織はの戦いはアメリカやイスラエルソ連などの異教徒や侵略者を相手にしている間はそれでもよかった。両者は潜在的にはともかく、それでも敵の敵は当面の味方とばかりに対イスラエルアメリカにおいては協力することさえあったわけで。
ところが何の因果か両者の『係争地』でもあったイラクにおいて、宗派色の真空地帯を作っていたフセインさんという世俗的な独裁者はあのアメリカによって見事にぶっ殺されてしまった。元々フセインさんがいなくなれば、イラクは必ずスンニ派シーア派が相争う土地となるだろう、というのは一部からずっと言われてきたお話でもあったのに。
そして、その予言は、見事に的中した。
そんなお隣のシリアの現状と言えば、東側からはイラクでの宗派対立の余波が容赦なく襲ってくる一方で、西からやってくるのはあの「アラブの春」という挟み撃ちに。かくしてシリアという地でついに直接対決を果たす。これまでに武装兵士として地道に育ててきたそれを惜しみなく投入することで、まさにかつての闘争で見られたように、お互いに彼らは『敵』を粘り強く苦しめ続けている。そりゃシリアもあんなことになってしまいますよね。
まぁその肝心の相手こそ、つまり、同じイスラムの人間なんですけど。


そんな笑えばいいのか悲しめばいいのかよく解らないシリア内戦の、また一つの側面について。いやぁ救えないお話ですよね。