国家間の経済格差と国内の経済格差を混同している、あるいはさせようとしている人びと

都合のいい悪者たる富裕層たち、でもそれは「誰にとって」都合のいい悪者?




「民主主義への脅威は富裕層」、国際NGOが警告 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
うーん、まぁ色々と突っ込みどころのある記事ではあるかなぁと。実際に報告書を読んだわけでもないので、それがAFPの編集によるものなのか、元からオックスファムさんがアレなのかまでは解りませんけど。

【1月21日 AFP】政済界のリーダーが一堂に会する世界経済フォーラム(World Economic Forum、WEF)の年次総会(ダボス会議)開幕を22日に控え、国際NGOオックスファム(Oxfam)は、世界のエリートが自分たちの好きなように法を操って民主主義をむしばみ、世界中の貧富の格差を生んでいるとの報告書を発表した。

オックスファムは拡大する経済格差に関する新たな報告書の序文で、格差は制御できる範囲を優に超え、世界で最も裕福な85人の資産は、世界人口の半分の資産合計に匹敵すると指摘している。

報告書は「富裕層が民主的なプロセスを損ない、自分たちの利益に資する政策を推進し、他のすべての人々を犠牲にしている」状態を支えている不平等の拡大の「破滅的な影響」を露わにしている。

「民主主義への脅威は富裕層」、国際NGOが警告 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

この報告書で一番目を引くキャッチーな論点が「世界で最も裕福な85人の資産は、世界人口の半分の資産合計に匹敵する」という辺りなんでしょうけども、しかしこれって「国内での格差」と「国家間の格差」を(おそらく敢えて)混同して指摘しているやらしいやり方だよなぁと。


「およそ0.0000001%の人間が世界の富の半分を独占している!」なんて。なんてヒドイ話だ! ぷんすか!


そりゃ「世界で最も裕福な人たち」と「世界で最も貧しい人たち」を比べたらそうなるのは別に不思議なじゃありませんよね。ならこの数字を国内での割合と比べたら同じような割合になるのかというと――もちろんこれはこれで別の問題として当然酷い数字なんですけど――そんな極端な数字にはならないわけで。
確かにそんな先進国と後進国との間にある致命的なほどに隔絶した「国家間の」経済格差は私たちが今後考えなければならない重要な、いやむしろ21世紀の国際社会を考える上で最重要な問題であるのは間違いないのです。しかし、それでも、そんな目を引きやすい比較をしておきながら、それを民主主義という言葉を使って国内的な格差問題と混同させるような書き方をするのは、正直誠実なやり方ではないよなぁと。

「この数十年間、富裕層が首尾よく強要してきた政策には金融規制緩和、租税回避と守秘、非競争的な商行為、高額所得や投資に対する税率引き下げ、大半の人々のための公共サービスの削減もしくは過少投資などがある」とオックスファムは指摘している。

「民主主義への脅威は富裕層」、国際NGOが警告 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

実際こうした賢い富裕層が民主的プロセスを利用することで、自身に都合のいい利益誘導な政策があったのは事実ではあるでしょう。
――ただこの結果が「85人が世界の半分の資産を独占している」ことの最大のデメリットなのかというとそんなことないわけで。だって仮に上記のように民主的プロセスとやらを公正にしたところで、それはまったく正しく国内で環流するようになるだけじゃないですか。


民主的プロセスの悪用と、上述した致命的にまで拡大し続ける「国家間の格差」はまったく無関係――とまでは言いませんけども、しかし世界中に悪影響を与えるだろう貧困国家たちとの間に存在する、国家間の格差問題に直結しているわけでもない。
ほんとうに「世界的リスク」として、それこそ『ダボス会議』という象徴的な場で扱う議題として、人道や危機管理という点で重視しなければいけないのは、金持ちな国の更に金持ちな一部富裕層が「何故そんなに持っているのか」ではなくて、貧乏な国の更に貧乏な人たちが「どうしてそれしか得られないのか」であるはずなんですよ。そもそも格差問題というのは、一部が持ちすぎているから悪いんじゃなくて、一部が持たな過ぎているからこそ悪いわけで。
つまり、富裕層の民主的プロセスの悪用を幾ら正したとしても、この国家間格差問題の根幹でもあるアフリカやアジアなどの世界における貧しい人々を救う方策にはならない。だってまず間違いなく、超越した富裕層ではないけども少なくとも同じ国家に住む私たちがそんな不公正を正そうとすれば、正しく民主的手続きによって、富は過度に集中させるなのではなくより「国内で」環流させるべきだ、という答えになるに決まっているのだから。
是正される富裕層の本心はともかくとして、しかし私たち一般の有権者はまず間違いなく、その再分配される富を国家間の経済格差を解消するために使うような政策は支持しない。私たちは、おそらく考慮さえしないでしょう。国外の恵まれない人たちに使うくらいなら、国内のそれに使うべきだ、という至極当たり前の話としてしか考えない。


まぁその意味で、こうした身も蓋もない事実を考えれば、とりあえず傲慢な富裕層の悪質さを強調しておけばカドが立たないだろう、という判断によって国内と国家間の経済格差問題を「敢えて」混同させているのだろう、という見方もできるのかもしれません。
――悲しいことに、その判断はおおむね間違っていないですよね。
そんな先進国たちの見て見ぬフリといった利己的な振る舞いこそが、多少なりとも興味と関心と対応をもたれる国内の経済格差問題と違って、無関心故に放置され続ける国家間の経済格差が今も尚拡大し続ける最大の要因の要因でもあるんですけど。
かくして一部先進国での富裕層が「稼ぎすぎる」と同じくらい、後進国ではまったく「稼げない」からこそ、「世界で最も裕福な85人の資産は、世界人口の半分の資産合計に匹敵する」なんてバカげた構図は生まれるのです。
そして彼らはこう叫ぶ。「全ては民主的プロセスを悪用する富裕層が富を独占しているのが悪いんだ!」なんて。



次回、関連というか本題として、ならば国内の経済格差問題として「民主主義を殺すのはほんとうに富裕者なのか?」というお話。