その悲しみと怒りはどこか「あの」人たちに似ている

いやまぁだからといって同レベルだなんて言うつもりもありませんけど。


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「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見 (1/4)
ということで大騒ぎのあれ。まぁ恥ずかしながら不勉強な僕はこの人の名前も曲も今回の件で初めて聞いたので、ぶっちゃけどれだけ人気があったのかとかもほぼ知らないのでどうしてこんな大炎上になっているのかイマイチ流れに乗れてないので置いてきぼり感が強いんですけども。
まぁこうして『ストーリー』を売るやり方というのは現代のマーケティング論でも効率的なやり方だと言われる最先端の一つでもあるわけで。実際この彼の物語というのはそれはそれはもうよく出来ていたのでしょう。そして人びとはその感動がフィクションであったと気づいたとき、その作者の人間性がクソ――というかまるで別人――だということに気づいたとき、同時に作品そのものまでも否定された。


端からこの構図を見いていてよく似ているなぁと思うのは、人気のある女性(男性)声優に彼氏やら結婚やらして発狂しと叫ぶ人たちに対して、しばしば指摘される「いいから作品や演技を評価しろよ」というのが、悲しみを背負った人たちには見事にスルーされる構図であります。
やっぱり誰しもそんな『作品』そのものではなくて『中の人』を気にせずいられないんだなぁ。

声優に彼氏発覚した時の声豚の名言で打線を組んだwwww

1(二) 俺に死ねと言っているのかよ
2(遊) 世界はなぜ僕を追い詰めるのか
3(一) チ◯ポしゃぶった口から出る音を俺に聞かせたのか
4(左) 耳に精子がかかる
5(三) こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった
6(右) 近くの心療内科に行ったら急性ストレスによる適応障害って診断された
7(中) 今後誰かが同じ過ちをしない為にも、ここは徹底的に叩くのが正解
8(捕) 完全に娼婦の声になってる
9(投) 処◯膜から声が出ていない

この「理屈じゃねぇんだ」感、とても人間らしくていいと思います。
そんな心の底から「だまされた!」と叫ぶ人たちにいくら、(中の人ではなく)正しく作品こそを評価しようぜ、と正論を言っても彼らはCDを割るのをやめない。処女と信じていた人たちも、そして彼が全ろうにもかかわらず素晴らしき音楽を作り上げたと信じていた人たちも、どちらにしても彼らのその「だまされた!」という失望は強烈なものであるのだろうなぁと生暖かい気持ちになってしまいます。
――まぁもちろんそこには意図的なのかボカしていたのかという違いはあるんでしょうけども。
最近の偽装表示問題でもありましたけども、結局の所、私たちの激怒スイッチを押すことになるのは単純な利害だけでなく、いつだってそんな「だまされた!」という感情でもあるのでしょう。
ともあれ、まぁ今回の件で多くの失望を味わった方々には憐憫の情を禁じえない所ではありますが、所謂声優オタな人たちを筆頭に、同じく作品ではなく中の人に「失望した!」を味わった方は同じく大勢いらっしゃるので強く生きてくださいと願うばかりです。ちなみにこちらも声オタの事例でよく言われることではありますが、大抵の場合そんなショックもしばらくするとコロっと忘れて「○○は俺の嫁」とか言い出すので、「○○は現代のベートーベンだ!」と思うような人もたぶん見つかるんじゃないかな。


ちなみに一番その嘆きで好きなのは「こんな気持ちになるくらいなら花や草に生まれたかった」です。ものすごいセンスを感じるので処女厨のそれと同じく、今回の件でも失望した人は使うとその嘆きにひと味違ったエッセンスを加えられるのではないかと思います。


がんばれ『中の人』に失望した人たち。