「見ずに信じる者は幸いである」

『宗教的情熱』につけるクスリはない。



なぜイルカだけが特別なのか? 日本のイルカ漁をイタリア版「WIRED」が擁護する|WIRED.jp
まぁ捕鯨反発騒動に疑問を持つ少なくない日本の人たちの気持ちをよく代弁してくれているお話ではないでしょうか。何故か自身のウシやブタやチキンの事は棚に上げておいて「上から目線で」イルカやクジラのそれを非難する人たち。この構図で重要なのはこの「上から目線で」の部分なんですよね。彼らは自身の論理の正当性をまったく疑問の余地なく確信している。
つまり、(彼らからすれば)イルカを殺すのは罪悪であり、故に日本人の魂は救済されなければならない。単純にイルカを救いたいのではなくて、その先にある自身の教義の布教こそが目的なのです。みな我らと同じ神を信じようではないか、なんて。故にそれは『宗教的情熱」と限りなく近い所にある。
まぁもっとぶっちゃけてしまえば、イルカは(犬猫と同じく)とってもカワイイ愛玩動物なのだから、お前らも同じように感じるべきだ、というお話でしかないんですけど。
しかし個人的にこうした構図は、一生を通じて『神の言葉』に従って生きようとするイスラムの人たちに対して、意識の高い欧米の人たちがそんな時代錯誤な政治体制はやめるべきだ、と説教を垂れている構図と近い所にあるのかなぁと思ったりします。僕自身は民主主義政治の正当性をかなり強く信じているリベラルな立ち位置ではありますが、しかしそれでも、「同じ人が人を裁いて統治し生きることが本当に正しいと言えるのか?」という彼らの主張を100%否定する事もできないわけで。
それなのにまぁ彼らはその押し付けに余念がない。多分この捕鯨問題で反発を感じる私たちと同じような感覚を持っているのだろうなぁと。




ともあれ、なんというかこうした人たちを見ると、さすがキリスト教圏の人たちらしいなぁと思ってしまうんですよね。

根本的な問題はここにある。わたしたちは毎年、太地町で起きていることを映像や写真を通じてたくさん見るけれど、ウシたちの身に起こっていることを見ることほとんどない。そもそも誰も、ウシやブタのためにTVシリーズを制作したりはしない。

なぜイルカだけが特別なのか? 日本のイルカ漁をイタリア版「WIRED」が擁護する|WIRED.jp

「(自身の振る舞いを)見ずに信じる者は幸いである」というイエス様のお言葉を思い出して、(本来の意味では全く違った意味で)正しいなぁと生暖かい気持ちに。イルカの様子がそうであるように、精肉業なんてほとんどどれも似たような風景なのに。それはもう素人にはトラウマレベルのグロであります。その意味で言えば所謂ヴィーガンになってしまう人の気持ちというのは、まったく解らないわけではないんですよね。
ところが彼らは幸いにもそれを見ずに自身の善意を信じていられる。いやぁ幸せな人たちだなぁ。