結果的に自らの祖先たちの多大な偉業を軽視している人びと

まぁ歴史に無知だって言うと身も蓋もないんですけど。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40107
「民主主義に至る安易な道はない」というウルフ先生のお言葉はまぁ仰るとおりでありまして。
そもそも『民主主義』という政治体制の基礎概念が――当時はそんな名前が付いてなかったにせよ――西欧において初めて確立されたのが13世紀の頃であるわけで。イギリス一国どころか、世界の歴史に輝く『大憲章=マグナ・カルタ』として。つまりそれは、ラニーミードで封建貴族たちによって国王の統治そのものは認める一方で、ジョン国王の権限を制限することを定めた、彼ら両者による「自制」であり「支配の取引」であります。
あれから800年、紆余曲折を経ながらどうにかこうにかここまで辿りついた『民主主義政治』という政治体制がそんな一朝一夕に実現できるわけありませんよね。
民主制度は魔法のように出現したものでも、天から与えられたものでもない。上記800年前から続く流血の歴史そのものでもあるのです。それは後に続いた個々の国家にとっても概ね例外はなくて、別に現代の中東や東欧に限った話ではなく、ほとんど何処の国であろうと似たような残酷で残虐な苦闘を経てきた。イギリスを筆頭にして、アメリカでもフランスでもドイツでもどこでも。個人の自由、市民権公民権自治、司法の独立、宗教分離などなど、それぞれの段階で足踏みをしながら遅々とした歩みで進歩してきたのです。
それこそ私たち日本だって――まぁ現在のそれをバカにする人も少なくありませんけども――大きな犠牲を払ってこそ、大正デモクラシーなどから100年以上掛けてようやく現在のような「それなりに」安定した民主主義政治にまで辿りついたわけで。


だから、それは単純に制度を輸出し輸入させればいいとかそういう問題ですらないんですよ。

では、安定的で成功している民主主義の基盤は一体何なのだろうか? 端的に言えばそれは、民主主義には2つの自制――国民と国民の間の自制、そして国民と国家の間の自制――が必要だということだ。これらの自制が実現するかは4つの点にかかっており、そのすべてが満たされなければならない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40107

それは単純にマクロな制度設計のお話にとどまらず、ミクロな個々の『市民』たる価値観の問題であると同時に生き方の問題でもあります。まぁこの辺のお話については去年の『アラブの春』騒動での日記でも散々書いたので以下略として。
健全な『支配の取引』がもたらすもの - maukitiの日記
自制という彼らの紳士協定。それを根付かせるのだって簡単じゃない。

つまり民主国家に生きる私たちは、幾ら気に食わない政権を選んでしまったとしても――もちろん選んだのは自分たち自身なのだから当たり前の話ではあるんですが――次の選挙を大人しく待ち、更にはその間も法を遵守し税金をきちんと納め続ける。だってその政権が幾らクソであろうとも、国家は官僚や公務員たちによってきちんと機能し続けているのだから、と確信している。

だからこの関係性というのはかなり両義的な側面があるのです。政治家の方が最低限のラインを守るのであれば、市民の方だって同じようにしよう。逆に市民の方がそれを守っている限り、政治家だって無茶なことはしない。両者の合意に基づく紳士協定。

健全な『支配の取引』がもたらすもの - maukitiの日記


それこそ、僅か10年前にそんな風に簡単に「民主主義=正義を世界に広めるのだ!」なんて言っていたのが、皆さん大嫌いで嘲笑すらするあの前米国大統領だったブッシュさんだというのに。
彼があれ以上ないほどに身をもって証明したのにそれを忘れて、まったく無邪気に彼と同じ振る舞いを現在の欧米リベラルの皆さんがするのは、まぁ正直非常に愉快なお話だと思うしかありませんよね。