あの頃の君は、ピカピカに光ってー

つまり今は以下略。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40107
前回日記と同じマーティン・ウルフ先生の評論から。

民主主義に向かう道を進む国民を外部の人間が助けることはできるのか? それは可能だ。中東欧でEUが担った有益な経済的、政治的役割がそれを証明した。後退は想像できるか? 答えはイエスだ。ハンガリーがまさにそれを証明している。悪しき隣国が希望を打ち砕くことはできるか? イエス、それもあり得る。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40107

まぁ実際ソ連崩壊後の中東欧でEUが民主主義の普及に果たした役割というのは、一つの成功例として語るのは間違っていないでしょう。彼らの存在こそが、ソ連崩壊後の中東欧への国家たちの助け、というか目指すべき指針となった。当時の欧州連合は直接に支援するというよりはむしろ、間接的に「あるべき道」を指し示すことで、混沌一歩手前の状態にあったそれら国民を導いたのです。


そもそも『欧州連合』というのは、もちろん理念的で理想主義的なプロジェクトではあるんですが、しかしそれと同時にまた(死ぬほど)細かい規則で縛られた会員制クラブであるわけです。EU加盟の条件には、民主主義・法の支配・人権尊重・マイノリティの保護・有効な市場経済の維持、これらはまず大前提としてあって、更にその上で6桁に届かんとするページを持つEU条例集にある法規範の遵守が求められる。
こうした大きなハードルを越えても尚、それでも加盟したいという欲求こそが上記間接的な「中東欧でEUが担った有益な経済的、政治的役割」を実現させたわけですよね。ハンガリーを筆頭に、スロバキアチェコポーランドなどをまさに外部の力=欧州連合の魅力によって導いた。もっとぶっちゃければそれをエサとしてぶら下げることで、彼らの改革を後押ししたのです。
当時の欧州連合というのは、それが可能となるだけの、夢とキボーに満ち溢れた理想郷でもあったわけで。
――で、翻って現在、そんな目も眩むばかりの魅力が『欧州連合』あるのかというと、まぁ以下略なんですよね。


そして、もう一つ大きな問題として、今回ウクライナにおいてその手法が通用しない根本的な理由があるのです。つまり、そもそもウクライナにはそうしたヨーロッパの魅力をあからさまに宣伝すること自体が、地雷を踏む行為であったわけです。ロシアにとってのウクライナ地政学上の革新的利益。故にそこはある種の緩衝地帯として、住民自身が積極的に望まない限りは、敢えて手を突っ込むことはしないというのがヨーロッパにとっての基本戦略であったはずなのです。
ところが今回何をトチ狂ったのか、彼らはそのウクライナの騒動を外から煽りまくってしまった。いやまぁぶっちゃけ中東でも似たようなことをやっていたので、ウクライナでしでかしても何も不思議はないよね、というのはもうその通りなんですけど。やっぱりブッシュさんを笑えない人たち。
ともあれ、そんな欧露間にある国際関係の基本構造から、彼らの民主主義を広める為の成功戦略であった「欧州連合加盟を餌に改革圧力とする」というのがもう致命的に使えない。そのカードを使えば使うほど、ロシアが脅威に感じてより強硬になるのは確実であります。
じゃあそれ以外でどうやって「中東欧でEUが担った有益な経済的、政治的役割」を果たせるのかというと、まぁ多分探せばあるのかもしれませんけど、少なくとも現状では概ね見当たらない。実際『アラブの春』でもそうだったわけで。


EUは過去にあった魅力を失い、同時にまたEUが何か口出しをしようとすればするほどロシアは頑なにならざるを得ない、二重の意味で成功戦略が事実上使えないのです。
だからこそ今回のウクライナの件って「民主主義を支援する」という意味でも、呆れかえるほど手詰まり。