欧州連合プロジェクトはウィーン体制の二の舞となるのか

またもや時代の変化という身も蓋もない流れによって失われつつあるヨーロッパの連帯。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40712
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40725
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40740
ということであと数日に迫った欧州議会選挙の結果に戦々恐々――イギリス寄りな所ではwktkでもあったりする――なヨーロッパの皆さんであります。ほとんど結果の見えている、おそらく、高い確率で反欧州連合派が大きな議席を占めることが確実な選挙。ユーロ危機がひと段落ついた、その後にやってきた政治的危機。

 EUは今、原加盟国のフランスで、欧州統合懐疑派として名高い英国以上に大きな反感を集めている。欧州各国の選挙でポピュリストの訴えが力を持つのは、主にEUによる干渉に対する敵意が増大していることに基づく。

 これは経済学ではなく、民主主義の問題だ。旧来の政権を選挙で捨て去ったのに、結局EUに「新政権は以前と同じ財政ルールと経済政策を堅持しなければならない」と言われてしまうのでは、有権者は面白くない。中央集権化は経済的な失敗の結果として生じたもので、幅広い政治的議論があったわけでも、際立った成功が得られたわけでもない。それゆえ、有権者が素直にこれを受け入れる可能性は極めて低い。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40712

欧州連合という一大政治プロジェクトが抱え続ける『原罪』 - maukitiの日記
まぁこの辺はうちの日記でもユーロ危機の最中からずっと書いてきたお話ではあって、そしてついにその一つの中間指標=メルクマールとなる結果が出つつある。つまるところ、欧州連合が抱え続けてきた「民主主義の赤字」という問題を結局のところ彼らは解決できそうにない、という意味で。
『国家主権』と『政治統合』のコンフリクトについて。こんなのゼロサムゲームにしかならないんですよ。


まぁこの辺の構図を見ていて心底皮肉なお話だよなぁと思うのは、結果として19世紀初頭から19世紀前半までにあったヨーロッパの平和『ウィーン体制』が1848年に事実上終わったのと同じ要因でそんな協調体制が危機に晒されている点であります。あの協調体制が終わってしまったのって各国国民の自意識の目覚めと、そしてその協調体制を牽引してきた各国家指導者たちの世代交代の結果、という所に行き着いてしまうわけで。一部の人間の熱意によって維持されていたものは、その担い手が居なくなった時、あるいはその国家指導者のやり方に国民が不満を持った時、当然の帰結として失われた。
――翻って21世紀現在の欧州連合の姿であります。
やっぱり彼らも同じような危機に直面しているんですよね。つまり、熱意のある指導者は――メルケルさんのように――まだ一部は残っている。しかし、それこそあのブレアさんのように、足元の国民からの不満によってそうしたヨーロッパの指導者は確実に減りつつあることもまた事実なわけで。着々と国家指導者たちの世代交代が進み、徐々に当初あった熱意は失われつつある。でもこの流れを完全に否定することもできませんよね。
まさにあの1848年以降一気に加速したナショナリズムが、少なくとも一面では正しく国民の声でもあったのと同じように、今回の「統合にNO!」を叫ぶ人たちのそれもまた正しく国民の声の反映でもある。
『想像の共同体』の核となるもの - maukitiの日記
だかこそ、国境を自由化したりユーロ通貨を導入したりでそんな共通意識を育もうとしてきたのにね。でも失敗しつつある彼ら。そりゃシリアだのウクライナだの構っている暇はありませんよね。