ウナギ世代間格差

見事に共有地の悲劇のダメなパターンに陥るウナギ。



ウナギ高騰一転、一斉値下げ 稚魚豊漁、国内仕込み量倍増 (SankeiBiz) - Yahoo!ニュース
そういえばまた今年もうなぎネタの季節がやってきているそうで。豊漁予想ですって。でもまぁマクロで見るとどう見ても低いっていう。いやぁウナギが好きな日本人ってどうしようもないなぁ。おわり。
でもそれだけじゃ寂しいので、以下適当なお話。

とはいえ、消費者のウナギ離れは深刻だ。「高いイメージが定着して人気が低く、スーパーの売り場が縮小している。楽観視できない」(全国鰻蒲焼商組合連合会)との声も多い。総務省の家計調査によると、「土用の丑の日」がある7月に、ウナギのかば焼きを買った家庭は03年の54.6%から13年は31.7%に落ち込んだ。スーパーなどでの値上げが相次いだ影響もあって、10年前に半数超だった購入家庭は3分の1以下に減った。

 価格の下落を追い風に消費者のウナギ離れに歯止めをかけるには、「価格競争を警戒するスーパーがタイミング良く売り場を拡大するかどうかだ」と森山氏は指摘する。今年の土用の丑の日は7月29日。暑い夏を乗り切るスタミナ食の代表としてウナギが復権を果たすことができるか。丑の日を前に、消費者が値下がりを実感できるかにかかっている。

ウナギ高騰一転、一斉値下げ 稚魚豊漁、国内仕込み量倍増 (SankeiBiz) - Yahoo!ニュース

今回のニュースを見ていて思ったのはやっぱり「高いから食わない」という人が多いんですよね。でも、こうした行動基準自体が危うい論理だというのはその通りなのでしょう。
――だってそれは逆説的に、つまり「ならば(稀少あろうと)高くなければ食うのか」ということを意味してもいるわけだから。ここまでウナギの危機は叫ばれていながら、しかしぶっちゃけ安ければ多くの人が食べてしまう。
心底皮肉なお話ではありますけども、こうして高価になっている=ある種の贅沢な高級魚としてのステータスを完全に獲得してしまっているからこそ、ウナギの低価格化が望まれることになる。かくして企業たちは必死の努力を重ねできるだけ安く提供しようとして、それはウナギの生態系に更に大きなダメージを与える。なんて不毛な負の連鎖でしょうね。


(特に好物でもない=多分ほんとうに旨いウナギを食ったことがない不幸な……あるいは幸運な)個人的な予想ではありますが、ウナギって安い大衆魚なイメージのままだったらここまで持ち上げられていないんじゃないかなぁと。しかし現代日本ではそこにある種のステータスが認められてしまっているからこそ、無数の人たちがそこに群がることになる。
大衆魚から高級魚となってしまったウナギの悲劇。そのままイメージが定着しておけば良かったのにね。しかしそこに商機が見いだされてしまった。だから同時に資本主義の悲劇でもありますよね。その商品やサービスを限定された層ではなく、出来るだけ多くの人に届けようとする本能がもたらしたもの。そして『稀少価値』全てを決める世界だからこそ。
この辺は市場論理な考え方の限界ではあるのでしょう。それだけではその自然保護や種の保存といった正義を維持するのは難しい。
だからこそ、薄情な僕はこうして日記を書くことはあっても現実生活で身の回りの人たちへ――例えばシリアや中央アフリカで進行する悲惨な人道的危機の対応を訴えないように――「ウナギを食うのはもうやめよう」なんて説得するほどに熱心でもない。シリアとウナギ、例えばどっちが対応が簡単なのかと聞かれると、正直悩ましいところではあります。


ついでにもう一つ説得を気後れする要因として『ウナギ信仰』があるのって一般にお年寄りほど強いんじゃないかとも思うんですよね。というか今時の若い人ってそこまでありがたがって食べるものじゃないでしょアレ。でも一般に世代の上の方たちほど「土用」だとか「精の付く」と理由をあげてはウナギに素朴な憧憬を抱いてもいるんじゃないかと。
正直彼らを説得するのは容易じゃないよなぁと。だってもう先が長くないから最後に食べよう、というのは身も蓋もない言い方をすれば「合理的」ですらあります。絶滅するならばいっそ今のうちに食ってしまおうという共有地の悲劇を悲劇たらしめるインセンティブ
そして一方の将来の不利益を被る若者世代は、まさにそれほどの愛着がない故に、それを冷めた目で見つめることになる。
かくして『ウナギ保護』運動は政治的に盛り上がらない。典型的な世代間格差の問題。やっぱりこうした構図は少なからずあったりするんじゃないかと思ったりします。


みなさんはいかがお考えでしょうか?