ネオコンというよりは「国際社会への軽蔑」が復活している

イラク戦争そものではなく『単独行動主義』の間接的な擁護。現状の無力さが彼らの主張の正しさを相対的に証明する。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41038
ということでオバマ政権へのカウンターとしてのネオコン復活論であります。むしろ単独行動主義への復活の第一歩かなぁと。

ショックを与えるとむくりと起き上がる死体のように、米国のネオコン新保守主義者)たちは何度も息を吹き返す。電流は一定の間隔でやって来る。シリアによる化学兵器の使用、ロシアによるクリミア併合、中国が海上で強めている攻撃的な姿勢、そしてイラクにおけるスンニ派の過激派の再来といったものだ。

 こうしたネオコンの復活を後押ししているのがテレビ局だ。世界を揺るがす問題が起これば必ず、お馴染みの面々がカメラの前にしゃしゃり出て、今は1939年と同じだと声を上げる。それがネオコンのやることであり、メディアはそれゆえに彼らを愛してやまない。

 しかし、ネオコンの今回の復活については、もう少しちゃんとした理由がある。ひょっとするとあの震えは、2016年の大統領選挙の有力候補者が、ネオコンの教義にも一理あるのではないかと思い始めているせいかもしれない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41038

ただまぁあんまりそのまま賛成できるお話ではないんですよね。最近のイラクリビアやエジプトなどでの失敗を見れば、むしろ体制転換=民主化しても結局は問題解決できなかったじゃないか、という方が近いんじゃないかと。あれだけコストを払って体制転換しても、安全保障上の脅威としては大して変化がなかったっていう。


ただ、そんなネオコンの基本思想の一つ*1である「体制転換の重視」は傷ついたとしても、しかし別のネオコンの基本思想である「国際法・国際機関の正統性や実効性への懐疑」という点では、ネオコンの主張――ついでにこれは伝統的リアリストたちも同じ場所に立っているわけですけど――の正しさが、これまでにないほど証明されてしまっているわけで。
あの2003年ブッシュ政権イラク戦争の決断に際しての、最も大きな批判の一つ。彼らの単独行動主義。「なぜお前らは国際社会を無視するのか」と。
ところが、今の状況って、それこそイラクでもシリアでもウクライナでも南シナ海でも、オバマさんがブッシュさんのように単独行動主義をしなくなっても状況はまったく改善しないことが誰の目にも明らかになっているんですよね。つまり、国際危機に際しても国連をはじめとする「国際法」や「国際機関」はほとんどまったく無力な存在であることが、これ以上ないほどに明白に証明されている。
シリアでは16万人が死んでも未だに終わりは見えないし、ウクライナでは領土が切り取られても泣き寝入りするしかないし、イラクでは武装勢力による国家分裂が迫っても支援することはできないし、南シナ海での領海問題を対話で解決することなんてまったくできそうにない。
――ならば、国際法や国際機関っていったい何の為にあるんだ?
――あのイラク戦争の時、アメリカが国際社会から単独行動主義と批判された別の選択肢にあったのは、結局今のような「何もしない」という傍観でしかなかったんじゃなのか?
それこそネオコンが強かった子ブッシュさん時代に強くあった、軽視と言うより軽蔑的な「国際社会に何ができる(笑)」という見方の復活。


この懐疑ってネオコンやリアリストに限らず、ふつうのアメリ有権者に左右問わず根強くある疑念でもあるんですよね。国際法や国際機関は重大な安全保障上の問題を解決できない。まぁそれこそ冷戦だって「国連」が解決したわけでは絶対にないですしね。もちろんその主導的役割を果たすべきなのはアメリカであることは間違いないものの、だからといって、アメリカだけに現状の国際社会の傍観の責任が全てあるわけでもない。


つまり現状の世界各地の危機と機能不全が事実上証明しているのは、イラク戦争の時に言われていたような「多国間の枠組みで解決」か「単独行動」かではなかった、という点なのです。実は「何もしない」か「単独行動」の二択でしかなかったっていう。
それってイラク戦争の是非そのものと言うよりは、間接的に単独行動したことへの擁護になってしまっているんですよね。もし彼らが再び行動を決意した時、やっぱり単独でも動くことは正義なのだと。まぁそれって今の中国やロシアとほぼ同じ顔をすることにもなるんですけど。


狙っているか狙っていないかは解りませんけど、何もしないオバマさんのアメリカによって、その「あったかもしれないもう一つの未来」である21世紀の国際関係を顕現させている。アメリカが国際社会を無視してでも動こうとしない場合、次にやってくるのは多国間組織による集団行動ではなく、ただただだれもなにもしないだけ。
確かにそれはイラク戦争そのものを擁護できるわけでないものの、しかし彼らの単独行動主義的なやり方の相対的な正しさを証明することになっている。「どうせ自分たちが動かなければ、お前らは何もしようとしないのだろう?」なんて。かくして『善意による覇権』を信じるネオコンたちも元気になるっていう。
結局、何もしないからこそ、間接的に単独行動的なやり方は次善の策として浮上する。


いやぁ一体どうすればいいんでしょうね。みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:フクヤマ先生は著書の中で「体制転換の重視」「善意による覇権」「社会改革への不信」「国際組織への懐疑」をあげています。