「分散するスンニ派」と「集中するシーア派」どっちがつよいの?

そのメリットとデメリット。その競合するシステムの生存競争。


たぶん「また」イランが勝つんじゃないかな - maukitiの日記
先日の日記の補遺的なお話。シリアに続いてイラクでも群雄割拠するスンニ派勢力と、同じくイラクでも「纏まる」シーア派という構図はとっても解りやすく対照的なお話だよなぁと。まぁもちろんスンニ派というのがイスラムにおいて9割近い多数派だからこそそうなるという要素もあるのでしょうけど。
この構図の説明として、『イスラーム帝国のジハード』の中*1にとても納得できる解説があったので以下引用。

ジハードを統御するイスラーム的統治者が居なくなり、外国軍・占領軍と戦うレジスタンス組織、あるいはゲリラ集団、自ら決起した野戦司令官などがジハードを唱える時代となった。このことは、特にスンナ派諸国で大きな問題となっている。
シーア派の場合は、十九世紀以降、世俗化に対抗してウラマーの階層化・序列化を進め、聖職者のいないイスラームにおいても、あたかも教会があるかのような宗教的指導者のヒエラルキーを構築することに成功した。
(略)
これに対して、イスラーム世界の九割を占めるスンナ派の場合、ウラマーは階層化していない上に、もともとウラマーと統治者は相互依存の関係にあった。ところが、スンナ派の諸国ではその統治者が世俗化、西洋化するようになり、ウラマーは同盟者を失った。さらに、イスラーム反体制派が世俗的統治者をイスラームの名において断罪することも起こるようになった。

故にスンニ派は現代ではそのシステム上(世俗的な)統治者の手を離れた形での武装勢力たちの勝手なジハードが進むし、一方でシーア派は1979年のイスラム革命を経ることで宗教的指導者と政治権力が結びつくことで統一された行動を可能にした、と説明されています。まぁ現在の中東世界を見る限り概ねその通りだよなぁと。
以下その辺のお話から考えた適当なお話。




シリア内戦を通じて見られたような、足並みがまったく揃わないまま分裂するスンニ派勢力と、統制の取れた支援を続けるシーア派戦力。
ただ、じゃあこれって単純にシーア派ヒエラルキーな体制が有力なのかというとそうでもないんですよね。確かにその資源の集中運用は効率的であり、故に最初期のイスラムによる反米テロというのは常にシーア派ヒズボラが主役であったわけです。ところがそんな「権限の集中」というのは同時にまた、責任の所在が明確である、という事とイコールでもある。それこそヒズボラによる反米テロというのは何度もあったわけですけども、まぁそれって黒幕がイランだったのは明白だった。故にアメリカは解りやすいイランを最重要の敵国として扱い、それを破壊する為の限定攻撃や本気の経済制裁を続けてきた。イスラム革命以来続くアメリカとの不倶戴天の関係は、まさにそんな国家と宗教的指導者が結びついたイランだからこそ生まれたとも言えるのでしょう。
ところが後続としてやってきたスンニ派武装勢力である彼らは基本的に分散志向である故に、その命令指揮系統の曖昧さから状況証拠はあっても、国家による組織的関与のような決定的な証拠を掴ませない。それこそアルカイダとかどう見ても間接的にはサウジがバックに居ることは確かなんですけども、しかし、その形態故に言い逃れする手段はいくらでもあった故に、(もちろん原油資源という繋がりもあった上で)イランほど対アメリカ関係が破綻することもなかった。そして、そうした形態はそれぞれ独自のテロ攻撃はまさに神出鬼没なテロ攻撃にうってつけで、分散して一網打尽を避ける細胞型組織と相性が良く一度の攻撃で致命的なダメージを負うことは少なかった。
でもまぁやっぱりそれらって正面戦闘のようなガチンコのぶつかり合いだと、現在のシリアのように「戦力を集中できる方が勝つ」という単純な軍事的事実を証明することにもなるんですけど。


宗派対立と石油資源という問題の混合がもたらすインパクト - maukitiの日記
翻って先日の日記でも触れたような石油資源の会計管理を進めるISISさんちを見ると、資金(資源)と権限を集中することでテロ特化な組織ではなくむしろ従来型戦闘に強い上記イラン型のような組織づくりへ変化しているのかなぁと思ったりします。まぁその思想ってアルカイダ時代――彼らはテロリストを育てるよりもむしろ『民兵』の育成に重点を置いていた――から少しずつあったお話でもあるんですけど。
現状のイラク――ISISさんたちの行く先というのは、そんなイランのような中央集権な体制をISISさんたちが生み出すことに成功するか否か、というのがやっぱり大きいのではないかと思います。まさに彼らが目指すところの『カリフ国家』が実現すれば戦争にも勝てるだろうし、逆にそれに失敗すれば戦争にも勝てない。鶏と卵のようなお話で、やっぱり簡単にはいきそうにはありませんよね。




さて置き、これって近代以降のヨーロッパで見られたような、大きな常備軍を用意するために分権政治ではなく国家の強化と統一と権限集中によって、より「強い国」を競い合い国境線を引き直していた時代と近いものがあるよなぁと。まさにあの時代のヨーロッパでは多くの国でそうした国家生存をかけた相互の競争的発展があったからこそ、経済及び政治改革が世界に先駆けて進んでいったわけで。
現在私たちが見ている光景ってそんな風景なのかもしれませんね、と思った次第であります。

*1:P339~