社民ポスター「パパは帰ってこなかった」からリアリズムを学ぶ

自衛隊員の命は他国のそれよりも重い、と言っていることに気付いているのかいないのか。


社民ポスター「パパは帰ってこなかった」 集団的自衛権:朝日新聞デジタル
ということで愉快だと盛り上がってる社民党さんちのポスターだそうで。自衛隊員の命は、シリアやガザや中央アフリカウクライナで殺される人のそれよりも、重い。まぁ一理あるお話ではありますよね。まさに現状がそうであるように、集団的自衛権というのは自分たちだけに利益があるわけではなく、それに関与する同陣営の諸外国の利益でもあるわけで。だからこそ多くの国から歓迎されるものの、しかしそれでも自衛隊の命はもっと重要なので反対する、という意見は当然あって然るべきでしょう。
――でも、もし、同じ口で弾圧や虐殺への不作為を非難したり世界平和なんか語っていたら、それは何も考えていないと告白しているに等しいわけですけど。

 社民党は16日、集団的自衛権の行使容認への反対を訴える新しいポスターを発表した。

 「あの日から、パパは帰ってこなかった」という少年のつぶやきを載せ、「刺激的かもしれないが、自衛隊員の方々の命、国民の命に関わる問題だと訴える」(党幹部)狙いがある。モデルには党所属議員の子どもを起用、写真も党所属の地方議員が撮影し、作製経費を抑えた。(江口達也)

社民ポスター「パパは帰ってこなかった」 集団的自衛権:朝日新聞デジタル

ともあれ、まぁ一種の炎上マーケティングとしては成功ではあるかなぁと。


自衛隊員の命は重い」
やっぱりその言葉に完璧な反論を用意するのは難しいんですよ。それは左派だけでなくむしろ右派のような、我ら日本こそが特別な国であり、日本国民さえ良ければ外国民のことなんてどうなったっていい、と考える人にとっても特に同意される論理であります。
だからこれって――口に出している社民党自身は解っているのか解っていないのか――一般にリベラルな国際主義を志向する人たちとは真逆の価値観でもあり、むしろリアリズム、引いては自国中心主義のようなポジションに近いのです。
だってつまり、自国と他国で、命の重さに軽重をつけているわけだから。自国兵士を外国の為に「無駄に」使うべきではない、と。世界の平和と安寧なんてどうでもいい。自分たちの、日本人の命さえ守れればそれでいいのだ。シリアで、ガザで、イラクで、ウクライナで、リビアで、中央アフリカで、バルカンで、何万人無辜の市民が殺されようが日本に直接関係ない以上放っておけばいい。彼らの殺し合いが「終わった後に」適当に人道的援助でもすればいいのだ。
いやぁリベラルな理想主義とはまったくかけ離れた、素晴らしきリアリズムでありますよね。まさか社民党がそれを言うのか感。
右回りから自国中心的なナショナリズムに到達しているのではなく、左回りから一周して、自国の都合こそを至上命題とする価値観に到達している。


前米国大統領の許可証と、現米国大統領の免除証 - maukitiの日記
先日の日記でも少し書いたように、だからこそアメリカなんかではこうした考え方はゴリゴリの現実主義者たち(ちなみに伝統的に少数派でもある)こそがまったく同じことを言っているのです。米国建国の父であるワシントンやアダムズから続く孤立主義・不介入主義の伝統。その支持者の一人であるラルフ・ピーターズさんなんかは次のように仰って、アメリカ軍の安易な海外介入に反対しているわけです。

「われわれアメリカ国民は、自分たちが何の責任も負っていない人々を救おうなどという途方もない企てを抱いてはならない。狂信的愛国主義原理主義に対処する場合、われわれは自分に飛び火するおそれがないかぎり、炎が燃えるに任せておくべきなのだ。必要とされず感謝もされないような理由で同国人を死なせたくなければ、他者が死んでいくのを冷静沈着に見守る覚悟を身につける必要がある」*1

翻って社民党のポスターの言葉といえば、

「あの日から、パパは帰ってこなかった」という少年のつぶやきを載せ、「刺激的かもしれないが、自衛隊員の方々の命、国民の命に関わる問題だと訴える」(党幹部)狙いがある。

社民ポスター「パパは帰ってこなかった」 集団的自衛権:朝日新聞デジタル

まぁ基本的には言っていることは同じなんですよね。両者は同じ論理=自国兵士の生命を重要視する故に、安易な海外派兵を諌めようとしている。
この社民党の主張を笑う人は少なくありませんけども、しかしこの考え方こそが、敗戦以来70年以上続いてきた日本人の考える『平和主義』の典型例でもあって、一概にそれを現実が見えていないと笑うこともできない。*2
ザ・一国平和主義。
――もちろんこれが間違っていると言うことはできないけれど、しかしそんな自己中心的なやり方は、特に欧米リベラルな価値観と比較して、決してスタンダードだともいえない。まぁ昨今ではまた盛り返しつつもありますけど。
実際、本邦でもそれなりに報道されることの多いシリアの惨状やイスラエルの横暴に多少は怒ってはみるものの、だからといって「日本が」その地域の平和の為に何かしようとは夢にも思わない。だって自分たちとは関係ないことだから。海の向こうで何万人死のうが概ねどうでもいい。
奇しくも少なくない日本人は、そんなラルフ・ピーターズさんの言う冷静沈着な境地に達しているのです。自国の繁栄のために「他者が無為に殺されていくのを」ただただ見ているだけ。もちろんそうした事に心を痛める人がまったくいないわけではないけれど、しかし、絶対に、多数派なんかじゃない。


ただ実際にはそれは冷静沈着な態度と言うよりは、本当に呆れるほどの他国への無関心さから生まれているもの。
とってもユニークな日本的一国平和主義の本質。まさに理念ではなく、現実の自国利益こそを優先するリアリズムそのもの。社民ポスターはそうした価値観をとてもよく表していると思います。


いやぁにほんのへいわしゅぎってすばらしいな!(なんか毎回このオチ使ってる気がする)

*1:『帝国の傲慢』下 P221から孫引き

*2:ただこれは単純に日本人自身の選択と言うだけでなくて、周辺国や何よりアメリカが、戦後日本がそうした役割を海外(特にアジア)で積極的に果たすことに好感しなかったという事実もあるんですけども、まぁそれは別のお話。