不完全な『幻想の平和』世界に生きるヨーロッパとロシア

三ヶ月前のウクライナ騒動初期の「プーチンさんへの非難」がそのまま跳ね返っている構図――行動することは経済的利益を失うことだがそれでもいいのか?


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41340
ということで先日も言及したように、やっぱり欧州連合さんちは尚もその決断と行動を巡って自問自答しては右往左往であります。既定路線と言うと身も蓋もありませんけど。ロシアと(経済的に)戦うのか否か。

もうたくさんだ。欧米は、プーチン氏のロシアが根本的に敵意を抱いているという不愉快な真実を直視すべきだ。橋渡しをして関係を修復するというアプローチでは、プーチン氏を説得して普通の指導者のように振る舞わせることはできない。

 欧米は今すぐ厳しい制裁を科し、プーチン氏の腐敗した取り巻き連中を追い落とし、真実を話すことを前提とするすべての国際的な対話の場からプーチン氏を追放すべきだ。それ以下の対応は、どんなものも宥和であり、MH17便に乗っていた無辜の人々に対する侮辱でもある。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41340

で、エコノミストさんの社説は行動派であると。多少の経済的利益を無視してでも行動=厳しい制裁をするべきであると。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40099
ちなみにこの構図ですごく面白いのは、ウクライナ騒動の初期段階――クリミア占領の頃にはヨーロッパさんちはまったく同じこと「行動抑止」の言葉としてロシアさんに向かって言っていた点ですよね。

プーチン氏らは新たな冷戦を手に入れることができる。あるいは西側の富へのアクセスを手にできる。だが、両方を手に入れることはできないのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40099

そうやってプーチンさんの行動を抑止しようとしていた。ところが翻ってマレーシア機撃墜を経た現在では、構図はまったくひっくり返っている。ロシアと同じことをヨーロッパ融和派に向かって言っているのが今の状況なんですよね。しかも、まったく逆の意味で。
同じことを主語を変えるだけで概ね成り立ってしまう。あの時は「行動抑止」の言葉だったものが、今では「行動推進」の言葉として。

ヨーロッパは新たな制裁を手に入れることができる。あるいはロシアの富へのアクセスを手にできる。だが、両方を手に入れることはできないのだ。

いやぁくすっとしてしまうお話です。経済的利益は需要なのか、そうではないのか。同じ口から発せられる「経済的利益の為に行動するな」と「経済的利益など無視してでも行動しろ」という二重基準。えーいどっちやねん。



ノーマン・エンジェルさんの『大いなる幻想』の二面性 - maukitiの日記
この辺りは、ウクライナ危機の初期で書いた日記そのものな構図が、案の定現実のものとなっていると思います。

さて置き、非常に逆説的ではありますが、このノーマン・エンジェルさんの理論の正しさを「逆から」見ると、経済的損失を恐れることが(まさに今回のロシアのような限定的な)軍事行動抑止に際しての効果的な経済制裁の包囲網作りに失敗してしまう可能性をも内包してしまうんですよね。もし仮に相互依存によって戦争を避けようとするならば、同じ理屈で経済制裁をやる側からも逃れようとするのは当然の帰結ではあるでしょう。


経済相互依存の両義性。(完全ではないにしろ)戦争自体をそれなりに抑止する代わりに、戦争抑止の行動さえも抑止する。

この辺は愉快なジレンマではあるよなぁと。

ノーマン・エンジェルさんの『大いなる幻想』の二面性 - maukitiの日記

経済的結合のもたらす一つの帰結。つまり、もし相互依存に「戦争抑止の効果」があることを(多少なりとも)認めるのならば、逆説的に「戦争抑止の為の行動抑止」さえもあることを認めることになる。ロシアは経済的結び付きの強いヨーロッパと本気で対立するつもりはない、というのが真であるのならば、ヨーロッパは経済的結びつきの強いロシアと本気で対立するつもりはない、も同時にまた真となる。


いやぁ端から見ている分には愉快なお話ですよね。日本でもこれを中国辺りに関連して考えるとまったく笑えなくなってしまうんですけど。まぁ他山の石として見るべきなのでしょうね。
がんばれ欧州連合