地方議員(を見るの)は辛いよ

彼らが悪いんじゃない、彼らをこんな舞台――壁の向こう側に引きずり出したネットやツイッターが悪いんだ。


共産党議員の久代安敏氏「オスプレイで何人事故死してるか知ってるの? 人命優先さん」。 - Togetter
おー、うん、最近続く『ザ・地方議員』という感じの面白ニュースの範疇かなぁと。もちろん真面目にやって居る人だって沢山いるでしょうけども、やっぱり地方議員なんて何処でもそんなものだし、そもそも大して待遇も良くない=真面目に地方自治に取り組む方がバカらしい地方議員にそこまでの『資質』を求める方が間違っているというと身も蓋もないんですけど。
この辺り例の竜太郎ちゃんやセクハラ野次騒動とかとほとんど根は一緒だったりもするんですよねぇ。『選挙』だけが重視されて、『説明責任』の不在こそが。


噛み合わぬ
議論はムダだと
思う自由

ですかね。

久代安敏 on Twitter: "噛み合わぬ 議論はムダだと 思う自由 ですかね。 @umenosuke_tani: @Polaris_sky @kushiro_yasu まあ、反論ができなくなると、無視を決め込むのが共産党。(笑)”"

なぜ575調でドヤ顔wwwしかも字余りwww
――いやまぁそんな風に笑えればいいんでしょうけども、これまで何度か書いてきたように、これは『説明責任』こそを最重要の責務とする現代民主主義における政治家としては致命的であります。実際には彼が説明をする責任を負わなければいけないのは選出された地方議会の有権者に対してなので、別にツイッターでどんだけ暴言吐こうがそれはそれで問題ないと言うことはできますけども。
ただ、それでも、その一言を政治家が言ったらお仕舞じゃないですか。例えば政権与党がコレを言ったら仮にオフレコだろうと大炎上確実であります。別に一般の人がそれを言うのはひたすら自由なんですよ。議論相手が『バカの壁』の向こう側に居ると思うのは、実際にどうかは別として、それこそ個人の自由でしょう。
一方で、民主主義政治家の正統性というのはただ選挙というだけでなく、その議論の経過によって「事後も」監視されるわけです。しばしば――それこそ共産党なんかが国会で言っているように――「議論が尽くされていない」という批判がありますけども、あれって別に議論相手である野党を納得させる為にやっているわけじゃないわけですよね。むしろその主張や議論の過程を国民に公開することで、その主張が一方的だったり利己的かどうかを、広く判断させることで権力者への抑止力としているわけです。故にそれは有権者の権力監視と言う意味で『説明(させる)責任』というのは重要なのです。
地方議会の現状と言うのは、国政では最低限機能している、この『説明責任』=『有権者による権力監視』があまり機能していない点にあったりするんですよね。そして偶に竜太郎ちゃんや「お前が生め!」という逸材が出ては大炎上する。
根本的に、日常的に政治家を正しく道徳的に振る舞わせるためにはただ『選挙』だけ足りないんですよ。


まぁその意味では、オスプレイ議論のをこうしてネットでなぜか大公開している点でとても政治家として素晴らしい行為ではあるとも言えるかもしれない。よくこんなの公開する気になったなぁ。
税金の無駄かどうかは、この議論過程を見て彼の地元の有権者が決めればいいんじゃないかな。