能力(資本)競争というトンネルを抜けたら、そこには一面のズル競争だった

善悪の彼岸にあるもの。


人は社会主義体制下ではよりズルを働きやすい事が判明 - GIGAZINE
うーん、まぁ考えてみれば当たり前すぎて、特に面白いお話でもないかなぁと。

冷戦が終わってからは、「社会主義がうまく機能しなかったのはなぜか?」という研究が世界中で進められていますが、ミュンヘン大学デューク大学の最新の研究で判明した「社会主義体制下では人はズルを働きやすい」という実験結果は、社会主義に潜む落とし穴を示しているかもしれません。

人は社会主義体制下ではよりズルを働きやすい事が判明 - GIGAZINE

重要なのは単純な「社会主義体制下では人はズルを働きやすい」点そのものじゃありませんよね。より正確に言えば「(資本主義体制下よりも)社会主義体制下ではズルを働いた方が利益を得やすい」という構造なんですよ。新発明や効率化をするよりも、数字を上手く誤魔化した奴こそが勝利する世界。誰もがそんなことをやってれば、そもそも平等にする為の資本だって生み出すこともできやしない。結果として「誰もが平等に貧乏になる」世界が顕現することになる。
――故に、当然、必然、もちろん、社会主義共産主義は失敗した。
「ズル」という選択肢に至るインセンティブの大きさを見抜けなかった人たち。共産主義やその手前にある社会主義が失敗したのは、単純に平等な社会の構築を失敗したというだけでなく、腐敗や不正行為を無くせなかったからこそ失敗したのです。二重の意味で失敗している。
腐敗や不正行為といったズルによる不平等をなくせなかった。故に公正な社会を作るのに失敗した。Q.E.D
そこでは資本主義社会なんかでより努力しより働こうとすることと、社会主義共産主義で『ズル』をするというのが、結果的に同じ意味になってしまっているんですよね。市場に頼らずに全てを政府が計画し、全てを政府が配分しようとするその社会では、畢竟それを担う官僚の数は膨大になり『ズル』の入り込む余地は文字通り無限に存在する。
――能力(資本)競争というトンネルを抜けたら、そこには一面のズル競争だった。
不毛なお話ではありますが、でも当然の帰結でもあります。だってそうした結果平等社会では、競争社会よりもずっとズルをすることで得られる利益というインセンティブは大きくなるのだから。
ならば「正直者が馬鹿を見ない社会」ってなに? - maukitiの日記
この辺はそのまんまな話題を以前も書いたんですが、(資本主義のような能力や資産に拠らない)平等で公正な社会を目指そうとすればするほど、むしろズルで得られる利益は大きくなっていく。どれだけ頑張っても結果が同じならば人は努力するのをやめるだろうし、その次にやってくる誘惑と言えば、もし努力するのではなくより「ズル」をすればするほど優位に立てるならばそっちで頑張ろうとするのは当たり前ですよね。
だからこそそこで生きる彼らは機会さえあればズルという選択肢を選ぶ。性質が天使だとか悪魔とか関係ない。善悪の彼岸を越えた先にあったもの。経済学風に言えば、インセンティブこそがすべて。建前上の平等と、無限に広がる官僚制の罠がもたらした、強力なズルへの誘惑。


平等な社会を目指せば目指すほど、ズル=腐敗や不正行為はより蔓延するようになってしまった社会。リンク先で述べられているように、皮肉なお話と言えばこれ以上内ほど皮肉なお話。ズルをしてでも人間は欲望を満たしたいどうしようもない存在なのか、それともズルを無くせるだけの制度構築が人間の手には余っているのか。まぁこの辺は議論の分かれる所ではあるのでしょう。
いやぁどちらにしても救えないお話で笑うしかありませんよね。


ということで、もしも現代でも尚「真に公正な人間社会」「真に平等な人間社会」を目指す人がおりましたら、とりあえずは人間社会から腐敗や不正行為を如何にして一掃するか、という点こそを考えればいいんじゃないかな。
僕には最後から二番目な真実で動物農場ビッグブラザーな風景しか思い浮かびませんけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?