むしろ問題は平時の「安全すぎる」のをどこまで許せるか?

安全軽視議論の本丸。


吉田元所長の証言記録が明らかに NHKニュース
そういえばこちらの「吉田」さんの証言も新展開となっているそうで。新聞やネットで適当にストレートニュースを追っているとよく混同してしまいます。いやぁ朝日さんと吉田さんって相性いいですね、いやむしろ悪いのか。
ともあれ、その辺の一部誤報や捏造云々はさて置くとして、面白かったのは次の部分。

この結果は、当時の東京電力の副社長と吉田元所長に伝えられましたが、根拠が十分でない仮定の試算だとして、実際にはこうした津波は来ないと考え、津波の想定や具体的な対策の見直しにはつながらなかったということです。
こうしたいきさつについて、吉田元所長は「福島県沖の波源というのは、今までもなかったですから、そこをいきなり考慮してやるということは、仮想的にはできますけれども、原子力ですから費用対効果もあります。お金を投資するときに、根拠となるものがないですね。何の根拠もないことで対策はできません」と述べ、具体的な根拠が示されないなか、巨額の費用がかかる津波対策をとることはできなかったと釈明しています。

吉田元所長の証言記録が明らかに NHKニュース

原子力ですから費用対効果もあります。お金を投資するときに、根拠となるものがないですね」なんて。ぶっちゃけすぎて笑うのもアレですけど生暖かい気持ちに。
安全はタダじゃない。
まぁこれまでうちの日記でもちょくちょく書いてきたお話ではあります。例えば原発事故以来ずっと話題になっているのは「安全性を軽視していたのではないか?」という議論ではありますけども、実際問題として、それと同じ次元で「安全性を重視し過ぎていたのではないか?」というのもまた議論として当然あるわけです。まさに天災やら重大事故の「いざ」という時に、機能するのは大抵そういうものだったりする。


例えば、おそらく世界で最も『安全』な飛行機と言えば米国大統領の乗るエアフォースワンな大統領専用機*1がその候補にあがるでしょうけど、まさか飛行機に乗る一般の人たちすべてにその安全性と信頼性を要求するわけにはいきませんよね。でもあのマレーシア機のように撃墜されれば当然高い確率で生命は失われることはほぼ確実でしょう。なのに、私たちはそれに装備されているような対対空ミサイル装備であるフレアやチャフECMを一般航空機に載せろなんてこと言わない。
あるいは上記飛行機事故よりも可能性の高い自動車事故での『安全』の為に、メルセデスベンツSクラス特別防弾仕様*2を自家用車に要求することもない。
だってそれらを要求するには「安全すぎる」から。私たちは自身の財布の中身を勘案した上で、一部の生命に関わるはずの安全性をも「安全すぎる」からと切り捨てている。より安全なファーストクラスどころかLCCとかにだって普通に乗るし、一般乗用車どころか軽自動車にだって普通に乗る。
まぁこんなのは現代社会を生きていればほとんど誰でも経験する取捨選択でしかない。
それらの例と同じく原発だって、それこそ5メートルの壁で満足せず何故15メートルにしなかったのだ、という批判ができる以上、だったら何故「もっと安全に」30メートルや50メートルの壁にしなかったのだ、というのも当然考えるられる議論なわけで。あるいは壁を二重三重四重にすることだってできたはずなんですよ。
でもやっぱりそれらは、ごくごく当たり前の話として、より多くのお金が掛かる。
そして大抵の場合、お金の問題と言うのは誰か一人の決裁で解決できるなんてこと「マトモな」営利組織であればあるほど、あるはずがない。結局そこには資金を動かすだけの大義名分=説得力=具体的な根拠が必要なんですよ。それをやらずして、企業利益や株主なんかを「無視」して、そんな高額な安全対策をやってしまってはむしろ背任行為として訴えられても不思議じゃない。
上記引用先で吉田さんが言っているように結果論としてそれを言うのは簡単なんですよ。しかし、私たち自身の振る舞い――例えば高速バスや中国産食品での事件のように――が証明しているように、平時からその「安全すぎる」を許すのは、ずっと難しい。
そこにあるのはただの安全軽視ではない。


この『安全性』のお話は、原発はもちろんのこと多くの環境負荷が発生する他の発電所や再生エネルギーの推進なども同じ次元の議論として、結局行き着く先はそんな『経済的合理性』により縛られる営利企業をやめろというお話になるんですよねぇ。でも少なくない人たちが、東電に対して「もっと自由競争を!」とか真逆なことを言ってて愉快な気持ちに。


経済的合理性を無視した形での「安全すぎる」対策を私たちはどこまで許容できるのか? 
みなさんはいかがお考えでしょうか?