言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを(政治的影響力の意味で)

いつのまに朝日新聞ルパート・マードックに買収されたのかな?


朝日新聞 木村伊量社長のメール公開 | スクープ速報 - 週刊文春WEB
池上さんの掲載拒否騒動等も併せてまぁ炎上しまくっている朝日さんちであります。個人的には池上さんの騒動よりも、こっちの社長直々の言葉の方がぶっちゃけ爆弾発言だよなぁと。それ言っちゃっていいのか感。

 また、産経、読売など他紙の報道で「一時退避」を「撤退」とミスリードした疑惑が明るみに出た「吉田調書」報道についても触れており、

朝日新聞が書かなければ永久に世の中に知られることがなかったかもしれない衝撃の事実の連打で、これぞ価値ある第一級のスクープ》と自賛。

朝日新聞 木村伊量社長のメール公開 | スクープ速報 - 週刊文春WEB

先日の日記コメントでも少し書いたように、だからそういう発言は――少なくとも理想論としてあるべき姿である――『ジャーナリズム』のあり方とはほとんど真逆なことを言っていることに気付いていないのかなぁと。過程はどうあれ政治社会にインパクトを与えたから成功だった、なんて。結果的として読者の視界を広げることで政治社会に影響を与えることになるのはともかくとして、初めから特定方向への影響力を発揮しようと狙ってやるのはどう見てもジャーナリズムとは違うんじゃないかと思います。
ザ・傲慢な権力者たち - maukitiの日記
アルジェリアでの実名報道での議論の時でもありましたけど、「正義は俺が知っている俺に任せろ」という態度はまぁ平凡な読者としてはとってもハラショーな気分にはなってしまいます。




でも、当日記は基本的には天邪鬼で判官贔屓なポジションではあるので、現在の状況を鑑みて朝日さんちを擁護する方向で行こうと思います。
そんな内部文書での社長の言葉も、もしかしたら狙ってやってるのかもしれない。実際、メディアについて「社会の公器」と一言で言ってもやっぱりその在り様はさまざまであるわけで。僕自身も上記ジャーナリズムの理想論とか自分で言ってて少し空しくなる所があるのは否定できません。実際問題として彼らは企業利益を重視せざるを得ない私企業の一つでしかないのだから。とにかく自らのメディアとしての存在感さえ大きくなればそれでいい、というのは生存戦略としてそこまで間違っているわけではない。
――まさに21世紀の現代世界における、メディア戦略の一つのあり方では、あるよね。
その極北に「あの」世界のメディア王たるルパート・マードックさんがいるわけで。

マードックの政治好きは父親譲りだ。父親のキースは第一次世界大戦中、オーストラリア軍の従軍記者の座をライバルに奪われたものの、ガリポリ作戦を批判する情熱的な手紙を書いた。検閲によってガリポリの現実を報道できないことに苛立ちを募らせた彼は、オーストラリアの首相に直接手紙を送った。事実誤認も多かったが、その痛烈な手紙はガリポリ作戦の司令官の解任と、作戦そのものの終了に結びついたとされる。歴史家の間では、キース・マードックの手紙ほどガリポリ作戦の帰趨に大きな影響を与えた文書はないという見方が一般的だ。
父親と同じように、マードックも「客観報道」という建前にこだわろうとはしなかった。たまに間違ったことを書いても、たいして気にしなかった。タブロイド紙をはじめ、所有する新聞の影響力を行使する手段とすることも厭わなかった。実際、新聞の成功そのものを、影響力の大きさで測っていた。*1

かくしてマードックさんは影響力のあるメディアを買い集め、その上で自身の傘下にあるメディアを使ってブレア首相を応援して圧倒的勝利を演出したり、あのイラク戦争容認の世論――当時のアメリカ国内は圧倒的多数が戦争開始に賛成だった――に一役買ったり見せた。政治や社会を「正しく」動かすことを使命にして。
まさに彼はメディアをどれだけ社会に影響を与える存在にするか、それこそがメディアの正しい役割であると確信している。正しい意味での『確信犯』。現実としてFOXニュースをはじめやっぱりそれは「それなりに」成功してもいるので、朝日新聞が似たようなことをやろうとしてもまぁ別に不思議じゃないし、その路線を行くのもまたある意味で正しい道ではあるかもしれませんね。


メディア王ルパート・マードックの尻尾のような人。


ちなみに愉快なのは、かつて上記メディア王が日本進出を狙いテレビ朝日敵対的買収を仕掛けた時に、徹底的に対抗措置を取ったのが朝日新聞さんなんですよね。今の状況を見ると色々と示唆的だなぁとくすっとしてしまうお話であります。

*1:ウォール・ストリート・ジャーナル陥落の内幕』P14