二重の意味での自殺

メディアの役割としても、今後の経営戦略としても。


吉田調書「命令違反で撤退」記事取り消します 朝日新聞:朝日新聞デジタル
ということで結局「取り消し」にまで騒動は発展したそうで。いやぁ炎上しまくってますね。しっかしこのタイミングで吉田調書の「公開」を決めた政権の中の人は一体誰なんでしょうね? 狙ったのか偶然なのか「朝日潰し」としては悪魔的によくできた一手だと言うしかありません。
吉田調書をめぐる朝日新聞社報道 経緯報告:朝日新聞デジタル
ともあれ、先日の日記で危惧した通りの展開となりつつあるよなぁと。単純に朝日新聞というだけでなく「新聞」というメディアそのものの信頼性にまで議論が及びつつある。おそらく、慰安婦のそれを始めこれまでの記事やこれからの記事についても同じようなプロセスを経たのではないか、という疑いの目で見られるのは確実でしょう。
彼らの報道に関する「手法」の問題について。

 「所員が命令違反で福島第二に撤退」を主な内容とする記事を14年5月20日付朝刊に掲載するため、社内でこの問題に詳しい記者らが原稿を事前に読むなどした。「命令」や「違反」の表現が強すぎるのではないかとの指摘も出た。

 だが、取材源を秘匿するため、少人数の記者での取材にこだわるあまり、十分な人数での裏付け取材をすることや、その取材状況を確認する機能が働かなかった。紙面掲載を決める当日の会議でもチェックできなかった。

吉田調書をめぐる朝日新聞社報道 経緯報告:朝日新聞デジタル

 吉田所長が、福島第二原発へ退避した所員の行動を「はるかに正しい」と評価していた部分や、「伝言ゲーム」で所員の多くに指示が伝わらなかったことを認識していたくだりを記事から欠落させていた。「命令違反」と記事に書くにあたり、こうした吉田所長の証言がありながら、所員側への取材ができていないなど必要な取材が欠けていた。

 「正しい」という発言については、吉田所長が所員の行動について後から感想を述べたにすぎず、必ずしも必要なデータではないと考えていた。

吉田調書をめぐる朝日新聞社報道 経緯報告:朝日新聞デジタル

自らが「読みたいように」情報を読み、チェック機構も働かず、それをスクープとして大々的に一面に載せた朝日新聞。更には騒動にならなければそのまま放置されていた、と。いやぁ言葉の力を信じまくってるなぁ。
某スポーツ新聞のように「吉田所長撤退宣言! …………か?」とか書いておけば良かったのにね。しかし、彼らにはそこまでの諧謔さや自己懐疑性なんてなかった。やっぱり芸術家や革命家の方が向いてるんじゃないかな。



これが長期的にも大きな社会的問題となりかねないのは、以前から言われていた一般に「正確な情報を伝える」ことの専門家とされた人たちがご覧の有様だったっていう一部意見が、より強固になってしまいつつある点であります。彼らは少なくとも一般人よりも、事実確認の徹底や情報の正確性を追求する能力を磨いてきたからこそ、民主主義社会で特別な仕事とされるジャーナリズムの担う一員とされてきたはずなのに。
個人的にはあまり好きではない言葉ではありますが「マスゴミ」という意見は更に元気になってしまうでしょう。

その意味で、やっぱりこれってむしろ「マジメな」同業他社ほど朝日のそれを批判しなければならないのではないかなぁとは思うんですよね。だって朝日新聞問題のそれって単純に「反日」や「捏造」というよりはむしろ、目的が正しい報道ならば何をやってもいいのか、という点なわけだから。そんな朝日流のやり方と同列として見られては困る、と言う真面目な報道関係者は一杯いるでしょう。

朝日新聞は正戦論の『jus in bello』の概念を学ぶべきだと思うよ - maukitiの日記

やっぱり他社の皆さんはここでただ朝日を攻撃するのではなく――その実態はともかくとして――「少なくとも私たちは朝日とは違う」と弁明しなければならない状況に追い込まれつつあるのではないかと思います。
例えばマクドナルドの食肉偽装や、列車事故など、重大事件が起きた結果として同じ商売をしている同業他社たちまでもが同じ問題を抱えているのではないか、と疑われ副次被害を被りかねなくなっている構図。果たしてそれは朝日だけの闇なのか? それともどの新聞もこれと同じ闇を抱えているのか?
「アイツらがやっていたんだから、お前らも同じではないか?」なんて。
ただでさえインターネットの登場以来『新聞』の影響力は致命的に縮小し続けているというのに。それでも世界中の大手新聞たちが、彼らがこのネット時代に採るべき生存戦略と言えば、自身の来歴が持つ『新聞』という権威=信頼性を利用し差別化を図ることでどうにかやってくはずだったのです。無料で読めるネット記事にはない、信頼性の高い情報を提供するメディア=金を払う価値のあるメディアとして。
――ところがそんな存在意義であるメディアとしての権威を自らの手で地に落とした朝日新聞
ぶっちゃけ辞任予定の社長の責任としては、誤報云々と言うよりも、こちらの経営への長期的影響の方がずっと重いよなぁと。これから新聞の生き残りの為に、長期的な戦略の中心となるはずだった資源が一挙に消えてしまいつつある。後者の事を考えると辞任で済むだけマシかもしれない。一足先に状況が進んでいる欧米のそれを見れば今後の更なる苦境は明らかなわけで、それなのにこの様っていう。
そりゃあ同業他社も必死になって「朝日とは違う」アピールをするしかありませんよね。それは単純に攻撃の為と言うよりは、むしろ一緒に沈みかねない恐怖から生まれる自己防衛の為にこそ。
現在、業界が朝日批判一色になっている理由の一つにはこうした要因があるのではないかなぁと。


しばしば新聞が政治家へ向かって仰る「国民に信頼される政治をしなければならない」というのはまさに御高説ごもっともであります。
同じく、朝日もがんばれ。




――そこ、もう手遅れだろうとか身も蓋もないこと言わない。