「選挙資金勝負の勝者」という呪縛

勝たねばそのルールは改革できない。しかし勝てるということはわざわざルールを改革する必要もない。


米中間選挙 戦い過熱で資金が最高額に NHKニュース
時事ドットコム:増え続ける選挙資金=TV広告に巨額投入−米中間選挙
そういえば今回の中間選挙もその選挙資金は歴代最高額をまた更新したそうで。少しでも米国選挙を追っていれば、見慣れたお馴染みの光景。端から見ていると、終わりなくどんどん釣り上がっていく不毛すぎるゲームであります。
そしてその資金がどう使われるのかというと、少なくない資金が広告宣伝に使われると。

 サンフランシスコ大のケネス・ゴールドステイン教授(政治学)によれば、こうした資金の約75%は「広告」に使われる。その7割以上はテレビ広告。連邦議会選でも上院は州ごと、下院はさらに狭い選挙区ごとの選挙戦であるため、主に地方テレビ局で放映される。
 全米規模のケーブルテレビ広告代理店「ビアメディア」による集計では、「政治広告」が同社の広告収入全体に占める割合は今年9月分で、20.5%と過去最高になった。
 こうした広告には、政策を語らずに相手候補を容赦なく攻撃するいわゆる「中傷広告」も昔から多い。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2014110500101

おそらく、現状の政治分裂はテレビCMを使った両党によるネガティブキャンペーンがその主因の一つである、というのは概ね正しいお話でしょう。


しばしば国外の「わるもの」独裁者たちがアメリカからならず者扱いされあることないことレッテルを貼って口撃されているというお話があったりしますけども、あれって別に彼ら『外』に向けてだけ適用されている戦術じゃないんですよね。むしろ『内』での戦いこそがその主戦場だったりする。
それは端的に言って政治がよりプロフェッショナルな領域に踏み込み、洗練された――あるいは堕落したことの証明でもあります。
世論調査から動向を読み取り、政策コンサルトや広告担当者によって巧みに演出される言葉。如何にして有権者たちのココロに刺さるスローガンを生み出すか。より印象に残りより短いフレーズで相手を攻撃する。それを大量の選挙資金で各種メディアに投入する。それは自身の長所でもあるし、より簡単で手軽な手法としては相手の弱点への攻撃でもあります。平凡な私たちがミクロな日常生活やネット上のひたすら不毛な罵り合いでも気付いているように、ぶっちゃけ他人の上に立とうとするならば相手の個人(人格)攻撃をした方がずっと容易である。

冷戦終わり90年代に入るようになると、これまであった東西対立や経済成長のような政治を動かす『大きな物語』が消失し、個々の社会問題や文化問題がより大きな重みを持つようになっていく。もちろんそれはそれで重要なお話ではあるんですが、だからといって、必ずしも世論の広範な支持を得られるわけではない。

移り気な政治家を生む移り気な有権者 - maukitiの日記

前回日記でも書いたように、90年代以降マクロで抽象的な議論に陥りがちな外交政策や経済問題ではなく、より身近で日常的なミクロな社会的・文化的問題が争点になるようになると、アメリカ政界は口喧嘩というレベルな相手への個人攻撃が多用されるようになっていくのです。
「○○は××なんていう価値観を信じているんですよ!? 政治家失格だ!」なんて。
洗練された中傷合戦。それはアジテーションプロパガンダ一歩手前の「科学的な」「社会学的な」手法そのものであります。かつてあったような素朴な選挙運動とはまったく違う世界。まさに現代におけるメディアを利用した民主主義政治のある種の極致と言っていいでしょう。
そこに素人の入り込む余地はほとんどない。そのネガティブキャンペーンの応酬に穏当で比較的ノンポリな中間層たちが離れていくのも当然ですよね。


もちろん別の選択肢として穏健派候補者を支持することもできるでしょう。ただそこには中道派で穏当な候補者に誰がカネを出すのか、という身も蓋もない事実が横たわっているわけで。やっぱり現代の民主的選挙というのは実弾勝負なんですよ。そして暴力に依らない素晴らしき現代政治というのは、『熱心さ』と『資金力』はほとんどイコールになっている。応援するということは金を出すということでもある。
「誠意は言葉ではなく金額」であるように、「支援とは投票ではなく金額」なんですよ。
――当然の帰結として少数派な政治団体ほど熱心に政治資金を集めるし、一方の誠実な中道派たちはまさに中道派である故にその熱心さ=資金力で負けることになる。だからこそ少なくない穏健派候補者たちですら、そのような皮を被らざるを得なくなっているのです。
いやぁ構造的にどうしようもありませんよね。だからこそ個人的には米国には絶対に選挙資金改革が必要だとも思うんですが、まぁやっぱりオバマさんも――まさに彼自身も資金集めの達人の一人である故に――そんな改革に本気で手をつけようとしなかった。


選挙では資金集めの得意な候補者が勝ち、そんな勝者だからこそその戦いは終わらせることもない。勝ってるんだからルールを変える必要もないよね。そしてこうした現状を非難すべきマスメディアもまた、増大し続ける広告料を「受け取る」側の利害関係者の位置にすっぽり収まっている。いやぁひたすら不毛ながら救いようのないお話です。

米政治を長年見てきたブルッキングズ研究所のトーマス・マン氏は「中間選挙の重要性や影響と、放送やメディアの広告に使われているお金の額は反比例している」と、過剰な資金投入を批判している。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2014110500101

そしてその『銭闘』の結果として、多数派はますます距離を置くようになり中間選挙は影響力を失う一方で、しかし昨日の日記を繰り返せば「多数派が無関心になるからこそ」逆に勝利の可能性の上がった少数派同士の戦いは熾烈となっていく。


いやぁなんて不毛な民主主義政治の風景なんでしょうね。
がんばれアメリカ。