外交政策の『中身』が重要なのではなく、外交政策決定の『見た目』こそが重要である

選挙ムードも高まってきた中でのこの得点は、一歩間違えれば危うい手法ながら、しかし上手いやり方でもあるなぁと。


3年ぶり日中首脳会談、「関係改善へ第一歩」と安倍首相 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News
そういえばAPECのタイミングを利用して、日中首脳会談が久しぶりに行われたそうで。

【11月10日 AFP】安倍晋三(Shinzo Abe)首相は10日、中国の習近平(Xi Jinping)国家主席と北京(Beijing)で約30分にわたり会談し、両国関係改善の「第一歩」を踏み出したと述べた。

 10日午後に開幕するアジア太平洋経済協力会議APEC)首脳会議に合わせて開かれた会談は、日中首脳会談としては約3年ぶりで、安倍首相と習主席は初顔合わせ。それぞれの就任から約2年の間、日中間は領海問題や歴史問題など対立が続き、武力衝突の危機へ傾いていると警告する声さえ上がっていた。

 会談後、安倍首相は「両国が戦略的互恵関係の原点に立ち戻り、関係を改善させる第一歩となったと思う」と記者団に語った。

3年ぶり日中首脳会談、「関係改善へ第一歩」と安倍首相 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News

ともあれ、まぁその声明や合意の中身についての云々は専門で詳しい人に任せるとして、少なくとも日本にとっては――もっと言えば国内的アピールとしては成功したのかなぁと。ぶっちゃけ『支持率』として見れば好材料となるでしょう。


国家首脳個人の力を国家の力そのものとして、引いては自分自身の力そのものとして見てしまう人は少なくない。本質的には外交における「勝った」「負けた」というのは概ね無用の感情ではあるんですが、しかし少なくとも強いリーダーシップを求める国内の支持獲得には結構役に立つ。


よくある権威主義独裁国家というだけでなく、現代の民主国家においても尚『外交上の決断』での振る舞いが支持率変動の小さくない割合を占めるのはそういう理由があるからなんですよね。それこそ大多数の一般国民にとって、外交政策の中身自体がどうこうなんて、利害関係者や専門家やマニアを除けばほとんど求められていないんですよ。故に外交政策は争点にはならない。しかしその外交政策決定のプロセスは、そうではない。
つまり、国民がその国家指導者の力をどのように見ているか、という意味で外交政策は重要であり、故にそこでの政治家の振る舞いや見栄えは重要である。
特に、まさに今回のように国際的にも大きな注目を集めやすい重要な『外交問題』では、そうした傾向がより強く、ある意味では危険な程に増幅されるのです。
この構図において注意しなければいけないのは、別にその政治家の本質としての真実がどういうモノなのか、という問題ではない点であります。むしろ重要なのは「どのように見えるか」という外面の問題でしかない。民主国家でも――だからこそ、政治家に所謂「見栄え」が求められる理由の一つ。中身はともかくとして、しかし大舞台で自信あり気にそつなく振る舞ってみせることは、重要な資質と言っていい。


例えば小泉さんの北朝鮮での拉致被害者の取戻しなんてその典型ですよね。現実の外交政策としてはメリットデメリット双方あったものの、しかし国内世論としては大成功と言っていい。一方で最近分かりやすく失敗しているのがあのオバマ大統領だったりするわけで。もちろん国外的にも彼の外交政策そのものはアレではあるんですが、しかし国内世論として言えば、それ以上にその外交政策を通じての大統領の行った『力の魅せ方』という点で失敗していることが大きいのです。つまり彼は外交政策の中身そのものではなく、むしろその決定に至るプロセスでこそ「無能」という評価を得てしまった。


翻って今回の安倍さんの事前交渉から実際に対面した首脳会談に至る一連の出来事は、概ね「日本国民の目から見て」好感されたのではないかなぁと。いやまぁもちろん自民党憎しで何をやっても気に入らない人はいるだろうし、中国(ついでに韓国)憎しで彼らと妥協するのは何をやっても気に入らない人も一部にはいらっしゃるでしょうけど。
政治家の力を、国家の力を、まったく無関係な自分自身の力に投影するなんてバカげている、というのはまぁぐうの音も出ない正論ではあるんですが、だからといって別に日本に限った話ではなく――もっと言えば右傾化云々ですらなく――こうした傾向は先進民主国家であろうが普遍的にあるというのは覚えておくべきですよね。
その意味で言えば、もちろんようやく緊張緩和の第一歩を踏み出したことは本質的な日中関係にとって良いことである一方で、同時にまた、大きな注目を集める外交舞台でそつなく振る舞ったことは国内支持率に好感を与えるのではないかなぁと。


少なくとも国内世論としては外交政策の中身自体が重要なのではなく、国民の目から見てその国家指導者の力量はどのように映るか、こそが重要である。
ただ、しばしばお隣の国でも見られるようにこうした傾向があまりにも行き過ぎて、それこそ『国民の目』こそが外交政策の決定を支配するようになると不幸なことにしかならなかったりもする。でも、やっぱり私たちが民主主義国家で生きていく以上、その感情を完全に否定しても現実を無視することになるでしょう。


みなさんはいかがお考えでしょうか?