「なぜアメリカは自分たちのことを軽視するのか」という言葉の裏側の変化

『反感』から『危機感』へ。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42186
ということで中東にウクライナに中国にと世界中で問題に悩まされるアメリカについて。こうした米国外交政策が選択肢の多さに苦悩する状況そのものが、ザ・多極化世界の序曲なのでしょうね。そもそもこうして選択肢が複数存在していること自体がそれを証明している。何もかも一度にやっつけるわけにはいかない。
――で、こうなると問題はいつだって「優先順位」の問題となるのでした。

 オバマ政権が戦略的な優先順位を正しく定めたのか、あるいは決定的に重要な場面で間違った方向へそれてしまったのかを決めるのは、歴史家の仕事になる。

 筆者自身の直感では、いまはロシアが最も重要な課題だ。中国の台頭は極めて重要だが、差し当たりは長期的なプロセスであり、米国との対立の差し迫ったリスクはないように思える。

 中東の破綻しかけた国家とテロリズムのリスクは、悲しいかな、今ではほとんど普通のことのように感じる危険性だ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42186

もちろんヨーロッパの人たちはウクライナ問題=ロシアこそ最重要の問題であると考えるし、中東や人道的危機に関心を持つ人たちはイスラム国を無視することなんて絶対にできないし、東アジアに住む私たちなんかは中国の海洋台頭を気にしないなんてことできるわけない以上アジアへのピボットは絶対に進めてほしいと考えている。
ついでに言うと、私たち日本が離島防衛がそのまま日米安保の存在意義にまで掛かっていると考えるのと同じように、ヨーロッパではその安全保障がそのままNATOの存在意義にまで掛かっていると考えているので、彼らのその危機感は理解できるお話ではあるんですよね。ウクライナそのものではギリギリ責任を回避できたものの、これと同じ敗北「同盟国を守れない」をヨーロッパ内部でやってしまってはNATOの終焉となりかねない。


結局のところ、この世界中が一体化したかのようなグローバルな現代世界においても尚(歴史的経緯からくる)地理的認識はやっぱり死ぬほど重要である、ということなのでしょうね。21世紀なってから再び『地政学』が盛り上がるようになったのもそういう理由なのでしょう。


ともあれ、この構図で愉快なお話だなぁと思うのは、冷戦後秩序の潮流にあった傲慢なアメリカへの不満の言葉は同じでありながら、しかしその意味する内容が変わりつつある点であります。
つまり、1990年代からあったのは唯一超大国であるアメリカの動きに「自分たちを無視して事が進められる」ことに反発する同盟国たちという構図だったわけです。それは一連のユーゴスラビア危機の時から水面下で起きていたお話であったし、決定的に表面化したのが10年前の単独行動主義なイラク戦争で、他者の言うことを聞かない超大国アメリカへの不満という構図でありました。
アメリカは自らの意思を強引に押し付ける国に見える」なんて。
ところが今でも似たような言葉が吐かれてはいるものの、その言葉の裏側は微妙に異なりつつある。ただの反感から危機感へ。アメリカの戦略的な優先順位に表立って不満を述べることこそないものの、しかしそれを戦々恐々と見つめる同盟国たち。果たしてそのアメリカの選択は正解なのか間違っているのか。


いやぁザ・多極化世界という感じですよね。
世界が平和でありますように。