地政学的逆鱗とイデオロギー的逆鱗の二重奏

哲学における『自由意思』と、国際関係における『主権行使』の概念が交わるときウクライナで物語は始まるとかなんとか。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42224
ゴルバチョフさんへの批判のお言葉ですが、しかし、欧米側論理の欺瞞がよく解る評論ではあるかなぁと。


いやまぁ根本的なパワーバランスとして以前と同じ構図での『新冷戦』なんてあるはずがない、というのは概ね正論だとは思います。幾ら核兵器があるからといって欧米――というかアメリカに通常兵器で対抗できるだけの軍事力がロシアにあるかというと、最早それはないでしょう。かつて本気で恐れられていた、東側の通常兵器で押しまくられてヨーロッパを守るために(防御戦術的に)核兵器すら使うしかない、という時代はおそらくもう二度と戻ってこない。
そういう意味では『新冷戦』がありえないのは間違いない。
――ただ、じゃあロシアと欧米の間で冷戦時代とは別の形での戦略地政学的ゲームも起きないかというと、現在の状況が証明しているようにそんなことまったくないんですよ。ソ連の心臓であったウクライナに手を出せばそんなことになることは解っていたのにね。単純に彼らは心底ロシア=プーチンさんを見くびっていた、というよりも「そんなこと起こるはずない」と楽観していた、という方が近いと思っています。
これまでロシアがウクライナを脅してきたのを欧米が批判してきたのは、本音はともかくとして、建前としては戦略的地政学的理由というよりもウクライナ自身の主権行使を擁護する為だったはずなんですよ。故に自分が正義であるとロシアを批判してきた。ところが、そうした慎重な立場を捨て、彼らは文字通り「迂闊に」ウクライナというロシアの逆鱗に二重の意味で触れてしまった。自身が否定してきたはずのやり方で。
もし本気でその覚悟があったならばまだ話は理解できる面はあったのでしょうけど、しかしその後のグダグダっぷりを見るとやっぱりどう見ても「迂闊に」手を出したようにしか見えない。


挙句、当の彼らは「これは冷戦ではなく、自由と民主主義の広がりだ」って言ってるっていうね。
つまり、伝統的にロシアの逆鱗であるウクライナと、そして同じくロシアの欧米批判の最右翼にあるダブルスタンダード(何故自分のことを棚に上げて俺たちばかりに文句をつけるのだ)の二重奏。どちらか一方ならそうはならなかったかもしれない。しかしものの見事に両者が一緒にやってきた。
そりゃロシアも激怒しますわ。必ずかの邪知暴虐な王気取りの欧米をウクライナから除かねばならないと決意した。

 実際、西側の多くの人々も、この期待を共有していた。だが、グラスノスチ(情報公開)の提唱者であるゴルバチョフ氏にしてみると、欧米が旧共産国北大西洋条約機構NATO)に招き入れ、それによってロシアが弱っている局面で同国に屈辱を与えた時に、事態が間違った方向へ進んでしまった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42224

以前の日記でも書いた気がしますけども、結局の所、このウクライナをめぐるロシアとの問題の根幹はここにあるのでしょう。
果たしてそれは「ほんとうに」ウクライナ自身の選択の手によるものなのか?
なんかカント先生の哲学的な『自由意思』の定義についての議論に近くて愉快なお話ではありますが、欧米にしろロシアにしろ実はどちらも同じようなことを言っていてその『自由意思』こそを問題にしているんですよね。その意思は果たしてどこまでがほんとうに自らの意思決定だと言えるのか。他者からの介入や周囲の状況に流されての意思決定は一体どこまで『自由意思』なのか?


欧米は、ウクライナの自由意思=主権行使を威圧し妨害しているロシアこそ悪者だと言っている。これはまぁ確かにその通りではあるでしょう。
ロシアは、ウクライナの自由意思=主権行使は欧米による外部からの影響によって恣意的に決定されたものだと言っている。これもまた概ねその通りでもあるんですよね。民主主義を守る為だと言って、他国の決定(例えばEU加盟やNATO加盟)に干渉するのは許されるのか?

 ゴルバチョフ氏は、一体どうすれば、ソ連の保護から逃れた国々にとっての自由とロシアの勢力圏の保持の折り合いをつけられたのか、きちんと説明できていない。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42224

この言葉を借りれば、「欧米は、一体どうすれば、独裁者の軛から逃れた国々にとっての自由と民主主義の普及を大義名分にしての内政干渉と主権行使の折り合いをつけられるのか、きちんと説明できていない」自由と民主主義を広めるためならば、他国の扉を蹴破るような真似は許されるのか? 民主主義はオールマイティなのか?
これまでロシアのウクライナ介入を主権行使擁護の観点から批判しておきながら、しかし欧米側も同じように隠れてウクライナへ影響を与えていた。いやまぁいつの時代も『外交』なんてそんなモノだと言ってしまっては身も蓋もありませんけど。


果たしてどちらが最初に、あるいはより大きくウクライナの『主権行使』を邪魔したのか?
――両者はそれぞれが悪いと非難している。死ぬほど見慣れた不毛なお話。


ともあれ、しばしばバカにされるようにアメリカがこうしたバカなことをやるのはお馴染みの風景で論理的一貫性があって理解できますけども、ほんともう何でヨーロッパまで一緒になってこのバカげたことをウクライナで始めちゃったんでしょうね。
無邪気にヨーロッパ一体性の政治的正しさを証明したかったの?
ユーロ危機で貧して鈍しちゃったの? 




みなさんはいかがお考えでしょうか?