対ナチス用概念型決戦兵器『オルド自由主義』

あるいは第二次大戦戦後処理の70年越しのツケについて。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42255
第二次大戦以来ずっとドイツに根強くある経済観=オルド派自由主義新自由主義=社会的市場経済=フライブルグ学派について上から目線の批判。ドイツ人は本質的にケインズを理解していないし、そもそも信用していない。まぁ概ね正論ではあるのでしょう。
でもそれは単純に愚かさというよりは、東西分裂という過去を持つドイツの歴史的悲劇という要因も否定できないわけで。他のヨーロッパよりも明らかに東西対立の真正面に立ち国家分裂まで至るという他に例のない歴史を持つ彼らが所謂『左派』ひいては戦後当時のヨーロッパの主流にあった混合経済を殊更に信用しなくなったのは別に不思議ではないですよね。
一方で、野放図な新自由主義も30年代の大恐慌ハイパーインフレを思い出すからよろしくない。
――となれば残るは『第三の道』しかないじゃないか。
そうして生まれたのがあのドイツの『オルド自由主義』であるのです。自由とは秩序(政府)によって作られる=オルドな自由主義として。


なぜドイツの中の人たちはインフレを親の敵の如く憎んでるの? - maukitiの日記
ともあれ、やっぱりドイツのこの辺のお話をしようとすると、以前も書いた日記のようなオチになってしまうかなぁと。尚もナチスドイツという過去を責める癖に、彼らがその反省の究極の結実として辿りついた上記価値観を批判するのは正直ダブルスタンダードじゃないかと。ナチスを反省しろと言うくせに、しかし、彼ら流の反省の仕方は認めないっていうね。
ということで以下、上記過去日記の補遺的なお話。


 例えば、ドイツのオルドリベラル派は、中央銀行が市場金利に影響を与える力を失う流動性の罠の存在を決して認めない。1950年代にドイツ経済相として尊敬されたルートヴィヒ・エアハルトは、カルテルの観点から大恐慌を説明しようとしたことがある。それは自分たちが明確な説明を持たないことを、自分たちの思考の枠組みに取り込もうするオルドリベラル派の試みだった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42255

本文では「カルテルの観点から『大恐慌』を説明する」とありますけども、それって微妙に違うと思うんですよね。むしろ彼らフライブルグ学派が目指したのってそれこそ徹頭徹尾ナチス批判としての「カルテルの観点から全体主義を説明する」だったわけで。
だからこそ彼らは全体主義の萌芽となりかねないカルテルと市場独占を憎んだのです。ナチスの猛威は結局の所、国家に経済力と政治力を集中させ過ぎてしまったことが、全体主義を生んでしまったのだと。故に国家こそが積極的に競争を維持し続ける必要がある。
つまりドイツの『オルド自由主義』の本質ってここにあるんですよ。政治的自由を実現する為には、経済的自由を確保する必要があり、そしてその為には国家が積極的に市場競争を守らなければならない。


その意味で言えば、ドイツってアメリカに根強い伝統的な連邦制信奉とはまた別の形で『大きな政府』を否定しているんですよね。アメリカがイギリス植民地時代への反発からそれを嫌うように、ドイツはナチス時代の反発から。
リンク先本文の冒頭でティーパーティとオルド自由主義を一緒くたに並べているのって、正しい類推と言えるかもしれない。
つまりドイツにとってオルド自由主義というのはアメリカ独立史と同じくらい重要な位置――まさに戦後ドイツ国家観の根幹にある。国家の歴史が国家を造る。だってそれはナチスと東西分裂という圧倒的な存在感を持つ歴史背景から生まれたモノなのだから。
その二つから生まれたものを否定するのは、単純に戦後ドイツの奇跡的な経済成長の成功体験の否定と言うよりも、ぶっちゃけ戦後ドイツの歴史そのものを否定するに等しいわけで。そりゃ簡単に捨てられるわけありませんよね。

 ドイツはユーロ体制の支配を通じて、オルド自由主義イデオロギーを他のユーロ圏諸国へ輸出している。これほど多様な法律の伝統と政治体制、経済状況を持つ通貨同盟にとって、これ以上に不適当な教義を思い浮かべるのは難しい。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42255

かくして戦後ドイツが本気で「全体主義」を憎み、過去の歴史を忘れていないからこそ、更に彼らは熱心にその結実であるオルド自由主義を他国に輸出している構図。それさえすればナチスのような全体主義を生み出さずに済むのだ、なんて。ドイツに対してナチスを反省しろと言えば言うほど、彼らはその教訓に固執する。
むしろドイツに方針転換させるのに必要なのは北風ではなく「歴史はもう忘れろ」という太陽の方なんじゃないかと個人的には思います。


ところがほんとうに皮肉で、端から見ている分には愉快なことに、そんなドイツさんちの善意からくる独善的な行為こそがまた他国の反感を買いナチス批判のような言説を加速させるっていうね。現実にあるのは「歴史を忘れろ」どころか「歴史を忘れるな」と言い続けている現代の欧州世界。その言葉を受け、ドイツは更に強く自身の歴史体験からくる教訓を中心に置こうとする。
喜劇といえばこれ以上ないほど愉快な喜劇。
『オルド自由主義』はそのドイツ特有の歴史の記憶が無くなるまで続くでしょうね。あまりにもその反省をドイツに求めすぎたことによる帰結。第一次大戦後の戦後処理もドイツへの重すぎる負担が将来への禍根となりましたけども、実は今回も似たような構図なのかもしれない。70年越しの第二次大戦の戦後処理の失敗。
ザ・自業自得。


もういい加減ドイツにナチス云々とか言うのやめればいいのにね。でも無理だろうなぁ。被害者としての彼らもごく普通に執念深いし、だから同じくドイツだって執念深くその教訓=オルド自由主義の教義を忘れはしない。
正直、上記FTさんちの評論のように、この点に言及しないでドイツのオルド自由主義だけをただ批判するのって死ぬほどムシの良い話だと思います。いやまぁイギリスを筆頭にヨーロッパって常にそういうものだろうと言うと頷くしかないんですけど。


前大戦から70年経ってそのツケがやってきている構図。もう少しうまく戦後処理すれば良かったのにね。ヨーロッパという世界にとってドイツの扱いというのは今も昔も避けられない宿命なのだから。
みなさんはいかがお考えでしょうか?