最後から二番目の選択肢

戦争を辞さない人びと。


仲裁裁判所に管轄権ない…中国が反論文書 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
中国、比の仲裁裁判申し立て拒否―南シナ海の領有権紛争で - WSJ
そういえば私たち日本にもまったく他人事ではない南シナ海の領有権問題で、中国側が仲裁を拒否するのは既定路線なものの、面白い声明が出ていたそうで。

文書は93項目にわたって中国の対応の正当性を訴える内容。「領土主権や海洋権益の問題は、関係国の直接協議を通じた解決」が原則だと主張したほか、「申し立ては国際法違反で、中国に政治的圧力を加えようとするものだ」として、比政府の対応を批判した。

仲裁裁判所に管轄権ない…中国が反論文書 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

まぁこの件に限らず、中国さんの基本的なポジションを象徴したお話ではあるかなぁと。もちろん別に仲裁裁判を使わなくても、当事者両国で妥協や合意ができるのならばそれはそれで問題ないということはできるでしょう。
でもそれってたいていの場合、両国のパワーバランスを如実に反映した『合意』になることは確実なわけですけど。故に明らかに優位なパワーを持つ中国さんサイドはそれを拒否するし、在外米軍基地の米軍兵士地位問題なんかではアメリカさんなんかも同じようなことをやっているし、やっぱり理解できないお話ではありませんよね。もし仲裁裁判なんかをやってしまえば、両国の対立する主張が――もちろん完全に平等になるというわけでは絶対にないものの――ある程度までは平等に扱われることを意味してしまうから。だからこそ中国さんは拒否するし、そして逆にフィリピンさんのような立場からはそれを利用しようとする。


(あまり他人事ではないとは言え)別にそうやって不公平な結果が出るだけならば、やっぱり問題ないんですよ。どう見ても不公正だけど、少なくとも平和的ではある。究極的に無政府状態にある国際関係の立場を決めるのは、身も蓋もなくパワーの差であるという身も蓋もないいつものお話なだけ。



ならば何故、国際社会における平和主義的なリベラルな人たちが(日本における一国平和主義とはは違って)こぞって国際機関による仲裁裁判による解決を求めるのかと言うと、そりゃまぁその交渉が失敗した時のことを考えているからであります。
――二か国間での交渉が失敗するといことは、残る選択肢は『戦争』になりかねないから。
というかそもそも領土問題のような国益の核心に関わる問題で二国間で『交渉』するということは、大前提として決裂したときに残る選択肢が戦争しか残らなくなるという意味なんですよ。故にその一点において、裁判による解決は優れていると言えるのです。
当事者両国による交渉は、つまり、戦争以外の最後の手段である。
本邦でもしばしば多くの人たちが無邪気に「話し合い」の重要性を訴えておりますけども、ぶっちゃけそれってあんまり諸手を挙げて喜べる状況ではないんですよ。交渉というのは最後の希望であり、その意味するのは、最後から二番目の選択肢となることを。
合意できれば万々歳、でももし失敗したら最後に残る選択肢は……。



がんばれフィリピン。